立正佼成会 庭野日鑛会長 7月の法話から
「ちょっと辛いけど、とってもおいしい」
以前、ある教会で少女が私に質問したことが「佼成新聞」に載っておりました。
その少女が、「会長先生の好きな食べ物は何ですか。私はカレーライスが大好きです」と、こういう質問をされたのですね。それに答えて、「私も、カレーライスは大好きですよ。それから、豆腐、納豆、めざし。そして、ご飯は玄米。だからあまり食費はかからない」。こんな返事をしたんですね。
カレーライスは、田舎(新潟県十日町市菅沼)で初めて食べたのが、姉たちが通っておりました女子校の――あれは何のときでしたかね。初めてカレーライスを食べて、とてもおいしいものだと思い、「私も大好きですよ」と返事をいたしました。そして、その上で、「このカレーライスはおいしいけど辛(から)い」という言い方と、「ちょっと辛いけど、とってもおいしい」という言い方では、おいしさが変わってくるでしょ、感じがね――そう話して、「ほんとうにおいしかった時は、そう言うと、同じカレーでももっとおいしくなりますからね」と言いました。
「おいしいけど辛い」と「ちょっと辛いけど、とってもおいしい」という、ちょっとしたニュアンスで味が違ってくる。こんな返答をしましてね、それが思い出になっております。
(7月15日)
一列横隊で修行中
私は法燈を継承して、最初にこのようなことを申し上げました。人間として真に生きるという点では、古来、何人(なんぴと)も人生を生きることの専門家と自称しうる人間は一人もいないはずである。すなわち、人生は万人が一列横隊で総出発をするのであって、何ら専門家と自称しうるような特権的人種など絶対に存しない――と。お釈迦さまも人生の専門家ではありませんでした。みんな一列横隊で並んでスタートをし、人生を生き、一生を過ごしていくのであります。
そういう意味合いを込めて、禅宗では、「釈迦も達磨(だるま)も修行中」という言葉があるようです。お釈迦さまもそして禅宗のもとになった達磨さん(達磨大師。中国禅宗の開祖)も常に修行中だというのです。私たちもお互いに常に修行中であります。こうした言葉のあることを、とても有り難いと思います。
(7月15日)
「当たり前」に感謝して
きょうは盂蘭盆会であります。私たちは、今はこうして、生死(しょうじ)のうちの生の世界に生きています。その私たちもやがて死んでいくわけであります。そして、死んだ世界のことを、霊界と言います。霊界というのは、私たち生きている者にとっては分からない世界ですね。
私たちが生きているこの世界も、私たちは何でも分かっているわけではなくて、分かっていることは、ほんのちょっと、ちょっぴりしかありません。本当のことは分かっていない。無限に分からないことだらけですから、われわれが生きているこの世界も、霊界であります。死んでからの世界を霊界というだけでなくて、生きているこの世も霊界だから、両方合わせると「大霊界」だと、私は申しております。
私たちは、手も動き、息もしている、この当たり前のことが本当に有り難いのだという心を持つ人間に生まれてきました。こうしたことに感謝して生きていくことが、仏さまから頂いた大事な教えであると、私は受け取らせて頂いております。皆さんと共にそうした人生を、有り難く生きていきたいと思います。
(7月15日)





