立正佼成会 庭野日鑛会長 10月の法話から

10月に行われた大聖堂、本会発祥の地・修養道場での式典から、庭野日鑛会長の法話を抜粋してまとめました。

一日がひとつの生命

イギリスの詩人に、エドワード・ヤングという人がいます。この方には、九巻の本があり、一万行からなる教訓詩、つまり人間のためになる詩をずっと書かれたそうです。その中に、こういう詩があります。

夜毎(よごと)に私たちは死に、
 朝毎(あさごと)に新しく生まれる。
 一日一日が、ひとつの生命(せいめい、いのち)なのだ。

私たちは、夜、心臓も動き、血液も回っていますけれども、何も知らないで眠っています。夜毎に死んで、朝毎に新しく生まれる。朝、目が覚めて、新しく生まれる。一日一日が一つの生命なのだ、と。

もちろん昨日と今日とは、連続するのでしょうが、一日一日を一つの生命として大事にしていく。夜死んで、朝生まれる――そんな新鮮な気持ちになると、本当に一日を大事にしていきたい、意義あるものにしていきたいという思いが湧いてきます。この詩を読ませて頂くと、そういう気持ちになります。

日本の二宮尊徳翁の歌も素晴らしいと思います。

この秋は 雨か嵐かしらねども 今日(きょう)のつとめの 田草(たぐさ)取るなり

これは、六月頃の歌でしょうか。今年の秋の実りはどうなるか、雨になるか嵐が来るか分からないけれども、とにかくその日のことを務めていく、ということであります。

人生と申しましても、一日一日の務めをしっかりとしていくことが、とても大事です。尊徳翁の歌は、本当に大事なことを私たちに教えてくださっています。

そういう意味でも、皆さまと共に、愚痴(ぐち)を言わない人間になっていきたいと思います。そして、無我になることが、私たちの気持ちが楽になることであり、人と人の間にも、とても楽な関係、良い関係が結ばれるということです。

愚痴の反対は、智慧(ちえ)です。お互いさま、愚痴を言わないで、仏さまの智慧を頂いて、穏やかな人生を過ごしていきたいと思います。
(10月1日)

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