立正佼成会 庭野日鑛会長 3月の法話から

3月に行われた大聖堂での式典を中心に、庭野日鑛会長の法話を抜粋してまとめました。(文責在編集部)

仏性を自覚する

人間は皆、独自であり、同じ人は一人としていません。何十億の人間がおりましても、同じ人間は一人もいないのですから、一人ひとりは、本当に貴重な、尊重すべきいのちを与えられて、生きていると言うことができます。そのいのちを大切にしていくことが、私たちの人生の意義であります。しかも、仏の教えを頂いて、皆が幸せになっていく道を教えて頂いているのです。

人間は、直接的には、両親から生まれてきたのですが、そのおおもとである天地自然ということになりますと、私たちが住んでいる地球の大自然が、何千万年、何億年をかけて、人間というものをつくり出してきたわけです。ですから私たちは、そうしたことに感謝をし、人間というものに敬虔(けいけん)な念をもって対処していくことが大事になってまいります。

そして仏さまは、全ての人間に仏性があると教えてくださっています。その仏性は、自分を幸せにするだけでなく、人さまを幸せにするものです。自分も、人さまも、共に幸せに生きる道を教えて頂いて、精進をさせて頂いているわけです。

感謝のできる人間

感謝ができるとは、いわば仏さまの教えが分かってきたということにつながると思います。私たちは、大きく言えば、天地自然に生かされている、宗教的に言えば、仏さま、神さまに生かされていると受け取ることができます。仏さまの説かれる縁起の教えは、あらゆることが持ちつ持たれつの関係にあり、その中で私たちは生かされているということです。感謝ができるとは、そうしたことが分かったということであり、これは仏の智慧(ちえ)と一つになったということです。

その意味で、結局は、感謝をすること、「ありがとう」と言える人間になること――これが一番大切なことであると言われています。私たちは、仏さまの教えを通して、人間として一番大切なことを教えて頂いているのであり、「ありがとう」と言える人間になることができた、実践ができたといったことが、救われにつながるわけであります。

真理を学ぶことこそ

人間としてこの世に生命を頂いたことが、何と言っても有り難いと思います。そして、生まれてきて一番有り難いことは、「真実の道理」を学ばせて頂けるということです。「真実の道理」とは、短い言葉にすれば「真理」となります。

芳澍女学院情報国際専門学校を卒業される皆さんは、今度は学ぶだけではなく、学んだことの実践が始まります。人間としていのちを頂き、「真実の道理」を学ぶことができる――これが何よりも大切なことです。

(芳澍女学院情報国際専門学校の卒業式から)

極楽は皆の身に

浄土とは、よく西方にあるといわれます。ところが、こういう歌がございます。

極楽は西にもあれば東にも 来た(北)道さがせ 皆身(みなみ=南)にぞある

極楽とは、みんなの身にあり、どの方角にあるということではないというのです。仏さまの教えによって自分の心を見つめ、人のために思いやりの精神を持つところに極楽があります。一人ひとりの心を整えていくところに極楽があるのです。

画・茨木 祥之

「自分」という言葉をかみしめる

日本語の「自分」という言葉は、世界の中でも素晴らしい意味を持った言葉だといわれます。

「自分」の「自」は「独自」ということ。それから「分」は、全体の中の「部分」ということを表しています。大きな社会に住んでいる人間一人ひとりは、独自な存在であると同時に、全体の部分でもあります。そして、部分的なことをコツコツと行っていくことが、全体のためになるというような関係にあるわけです。

世界の全ては持ちつ持たれつ、縁起で成り立っている――そう見ていくと全体が見えてきます。私たちは、自分のことだけを考えていたのでは幸せにはなれないのであり、何より思いやりの心を持つ人間になることが大切です。日本語の「自分」という言葉の意味合いを分からせて頂くと本当にそう思います。

一人ひとり皆違う――それが良いところであります。そして、自分のできることを人さまにさせて頂くと、調和の世界が現れます。全体のことを考えられる人間になっていくことが、「大乗の精神」になるということだと受け取らせて頂いています。

何十億年かけて授かったいのち

世の中に何十億という人がおりましても、一人ひとりは独自な人間です。一人ひとりのいのちを大切にするということが、仏さまの教えの大事なところであります。

私たちは年を取ったとか、若いとか、そう思うときがあります。若い時にはなおさら、いろいろな苦しみに出遭うと、「なぜ生まれてきてしまったのだろう」「生まれてこなければよかったのではないか」といった疑問を持つことがあります。そのような疑問も、人間に生まれてきたからこそ、持つことができるわけです。

人間に生まれてきたのは、大自然が何億、何十億年とかけて、ようやく人間というものをつくり、与え、授けてくださったからであります。そして、人間に心というものが生まれ、その心を整えることが大切であるというのが仏さまの教えです。本当にありがたいことだと思います。

宇宙に生かされて

「佼成新聞」(今年1月1日付)に、宇宙飛行士の油井亀美也さんの記事が掲載されていました。国際宇宙ステーションから地球を見て、地球が言葉にできないくらいきれいで、皆に見せてあげたいと話されていました。

私たちは宇宙から地球を見たことがありませんが、宇宙からの写真を見ると、地球はきれいな青い水の惑星だと分かります。そうした美しい地球に住んでいながらも、私たちはテロだ、紛争だといって争っています。

仏さまの教えは、宇宙的な大きな乗り物のようなもので、その教えを私たちは頂いています。そのことをしっかり肝に銘じて、精進させて頂くことが開祖さまの願いであると思います。

太陽の光も水も、それら全てがなければ、私たちは生きていけません。地球は、宇宙の中の一つの惑星でありますけれども、そこに人間が存在し、現実に生きている――それは何より有り難いことです。生かされていることに感謝し、精進して、多くの方を救うお役をさせて頂くことが、教えを頂く者の使命であります。

菩薩の生き方

法華経は、菩薩のための教えであると教えて頂いています。また法華経では、全ての人が菩薩であるとしています。

法華経には、いろいろな菩薩さまが登場します。代表的な菩薩さまとしては、合掌礼拝(らいはい)の菩薩である常不軽菩薩さま。観音菩薩さまは、慈悲の菩薩として、いろいろな方を救われたということです。また、法華経の十五番(従地涌出品第十五)には「地涌(じゆ)の菩薩」が説かれています。それぞれの生きている場所で、人さまのために仏の教えを伝える人たちは、皆、地涌の菩薩であるといわれるのです。

普通、日々の生活は、朝起きて、昼に働いて、夜寝て、ということになります。菩薩は、ただ単にそうしたことだけではありません。自ら仏となることを目的とし、日々の生活そのものが、修行生活の一つとして、自分の生活を調(ととの)えたり、人々へ仏さまの教えをお伝えしたりする――そういう心を持った人であります。それが菩薩の生き方である、と法華経には説かれているのです。

無上道に入れる幸せ

法華経では、仏さまが「授記」をされる、というくだりがよく出てきます。「授記」とは、卒業試験にパスしたということではなく、入学試験に及第したという意味です。入学試験に及第しただけでは、あまり有り難味(がたみ)がないように感じますが、そうではありません。

仏の教えは「無上道」と言います。「無上道」とは、法華経に説かれていますように、成仏に向かう、唯(ただ)一つの狭い道であり、この「無上道」を歩むことができる入学試験に及第できたことは、大変有り難いことなのです。

法華経を学ぶことによって、「無上道」に達することができる。そして、安心立命(りつめい)の境地に至る。人間にとって、安心することほど幸せなことはありません。結局これは、幸せを頂くことであるわけです。