立正佼成会 庭野日鑛会長 4月の法話から

4月に大聖堂で行われた式典から、庭野日鑛会長の法話を抜粋しました。(文責在編集部)

人間は誰もが尊い

釈尊の「誕生偈(たんじょうげ)」として有名な「天上天下(てんじょうてんげ) 唯我独尊(ゆいがどくそん)」の後には、「三界皆苦(さんがいかいく) 吾当安此(がとうあんし)」と続きます。私たちが今、実際に生きているこの世界、三界(欲界、色界、無色界)は皆(みな)苦である、吾(われ)一人これを安(やす)んずる――そういう意味合いの言葉を述べられたということです。もちろん、赤ん坊が生まれてすぐにこうしたことを述べることはないわけですけれども、偉大なお釈迦さまの生い立ちを、昔の方々はこのようにたたえられたということです。

お釈迦さまは、「人生は苦だが、私がその苦をとり、苦しみのない幸せな人間にする」と言われています。また、「苦しみを苦しみでないようにする。それが私の大願である」と宣言されたといわれています。そうしたお釈迦さまの教え、精神を、開祖さまは私たちに、法華経を通して教えてくださっています。佼成会では、それに沿ってお互いに精進をさせて頂いているのです。

人間は誰もが独自の尊いいのちと心を持って生まれてきた――「天上天下 唯我独尊」とはそういうことです。さらに、仏の教えに遇(あ)うことによって、初めて自らの尊さに気づくことができ、自らの尊さに気づいてこそ他の全てのものの尊さにも気づかされるという意味合いもあると教えて頂いています。自らのいのちの尊さだけでなく、他人の尊さ、さらには人間だけでなくて、他の全てのものの尊さにも気づかされる。私たちは「天上天下 唯我独尊」という言葉から、そのように受けとることが大切です。

自らの尊さを分からない人が人を危(あや)める、人を苦しませる、といったことが起こりがちです。私たち一人ひとりの中にある仏さまの心、それを自覚することが最も大切であると思います。
(4月8日)

私たちの日常生活が修行

私が立正大学で仏教を習いました師匠の坂本(幸男)先生は、日蓮宗の先生でしたが、『法華経』を客観的に見るということもしなければならないということで、『華厳経(けごんぎょう)』研究の専門家でもありました。その『華厳経』にはこういうことが述べられている、と教えて頂いたことがあります。

『華厳経』では、「如来(仏)は何故(なにゆえ)に悟りを完成して世に現れたのか」という理由をいろいろと数え立てているのですが、結局のところ、真実を説いて人々を教化し、一人残らず救わんがためである、という一事につきるのだと教えて頂いています。

ではなぜ、如来は人々を救わなければならないのであるか、と問うと、それは「自然にそうせざるを得ないから、そうするのだ」と説かれているというのです。仏さまの願いは大きいから、私たちは何か特別なことを言われるかと思ったら、「それは自然にそうせざるを得ないから、そうするのだ」と説いておられたということです。

これを「如来の本願力」という宗教的な言葉で表現しますけれども、ここに、われわれ人間が世の中に生まれてくる目的あるいは意義は何か、という人生の根本問題の解決の鍵が与えられています。一人残らず救わんがためである、ということですから、私たちも仏さまの教えによって救われたならば、やはり迷っている方々にそれをお伝えすることがまた大事である、ということです。

大乗仏教では、「一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)」と教えて頂いています。全ての人はもう仏性そのものだ、という内容の言葉です。それでは、本来われわれが仏性そのものであるのであれば、修行する必要がないのではないかと考えがちです。

なぜ修行しなければならないのか。『華厳経』では、大乗の立場では、修行が必要であるというのではなくして、修行という立場から見れば総(すべ)てが修行であり、成仏という立場から見れば総てが成仏し終わっているということだとされています。すなわち、修行と成仏が同じものの表と裏とでありまして、常に修行しつつ、常に成仏し終わっているということです。もっと具体的に言いますと、われわれの日常生活がそのまま仏道修行であり、それが同時に仏作仏行(ぶっさぶつぎょう)、すなわち仏の衆生救済の活動であると言われているわけです。

ですから、私たちは「修行、修行」と言って、よほどきつい修行をしなければ悟りを得られないような感覚でいますけれども、今、この現実の世界で具体的に日常生活をしていること、そのものが修行であります。会社で働くにしても、その他いろいろな働きにしても、それらの働きが人さまのためになっているということです。私たちが日常生活そのものを真剣に送っていくこと、それが人さまのためになるということです。

佼成会は在家教団であり、私たちは在家仏教徒でありますから、自分の働くこと、行うことが人さまのためになる、人さまへの奉仕になるということで、日々生活し、精進させて頂いているのです。
(4月8日)

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