立正佼成会 庭野日鑛会長 5月の法話から

5月15日、大聖堂で法話を述べる庭野会長。コロナ禍における仏教徒としての日々の過ごし方を示した

5月に大聖堂で行われた式典から、庭野日鑛会長の法話を抜粋しました。(文責在編集部)

心を尽くす

儒教に「尽心(じんしん)」という言葉があります。「心を尽くす」とは、心を十分に解明する、解き明かす、明らかにすることです。私たちの心がどういうものであるかを十分に解明すれば、物事の個性、本質が分かってきます。それが分かれば、大自然が私たちを創造したことが分かり、また、世界について分かってくるため、「尽心」が大事であると教えられています。

「心とは何ぞや」――これは、人間にとって常に追究していくべき大事なことです。私たちは、自分の一生ではなかなかそれを追究できません。ですから、尽心――心を尽くしていくことが大事であると教えられているのです。

また、今日(こんにち)の文明の一番の悩みは、自己の喪失であるといわれます。人間が人間であることを喪失していることが、現代文明の最も深刻な悩みであり、危険なところであるといわれるのです。そうならないように、「存心(ぞんしん)」ということも儒教では教えられています。常に心を失わないようにする、自己そのものを失わないようにする、真の自己、心を失わないようにする、それが「存心」です。

ところが、今の時代は「亡心(ぼうしん)」と申しましょうか、心を失っていることに悩みがあるといわれるのです。「忙しい」という文字は、「忄」(立心偏=りっしんべん、心の意)に「亡くなる」という字が書かれています。そのような状況の中で、もっと人間の「心」を豊かにしていかなければならない、深いものにしていかなければならないということが、「存心」と「尽心」という言葉の大事な意味として教えられています。

特に、コロナ禍の中で、私たちが見失っている心をしっかりさせることが、コロナに打ち克(か)っていく一つの大きな手立てです。自粛生活の中でも、人間として心を尽くす――「存心」「尽心」ということが人間の心を豊かにし、またしっかりとしたものにしていくのだと思うのです。
(5月1日)

日々、仏の教えを学ぶ

仏教では、全ての存在は「縁起」によって成り立っており、釈尊は、その「縁起」を悟られたのだと教えられています。しかし、よく考えてみますと、これは釈尊という特定の人のための悟りではありません。「縁起」とは、全ての人々を目覚めさせるものです。

「縁起」が本当に分かると、人間も大自然も動物も植物も、全てが関わり合って、結局は一つだということが分かります。しかし、私たちは、人間だけが何か特別なもののように思いがちで、これがいろいろと誤った方向にいく基になっているのです。

私たちが所依の経典とする『法華経』には、現実の世界は、本仏が常に説法している尊い世界であると説かれています。私たちは、そうした尊い現実の世界に生きています。

そして、私たちの本当の修行の場所は、日常の生活の只中(ただなか)にあります。本部や教会で集まって修行することが本番ではなく、本番は家庭にあり、私たちの修行の場は、それぞれが過ごしている現実の場です。その場において、私たちはいつも、朝、起きて精進を決定(けつじょう)し、一日が終わって、仏さまに感謝をしながら休ませて頂く――そうしたことが仏教徒にとって大事な生活です。

自己の人間性、心が向上しなければ、人のために尽くすことはできません。ですから、思いやりの心が、菩薩の心として大切であると教えられています。「布薩の日」にあたり、皆さまと共に、菩薩としての「上求菩提(じょうぐぼだい)・下化衆生(げけしゅじょう)」の精進をお誓いさせて頂きます。
(5月1日)

体に良い習慣づくり

人間は、言葉を使って人と話をすることを通して心が育ち、発達するそうです。ですから、コロナ禍で人と会えず、話ができないと、脳の働きが衰えてしまうこともあるようです。幸いなことに、私たちは仏教徒として、仏さまの教えを頂いており、朝夕にご供養をさせて頂いています。ご供養の時にはしっかりとした声を出してお経文を読み、仏さまの言葉を自分の口に出して、それを心に受けていくことができます。大きな声を出すと、健康にもとても良いのだそうです。

大聖堂の4階には席が千ちょっとあり、普段の式典ですと大勢の皆さんがおられます。そうした中で話をしますと、なんとなく皆さんの様子も分かるのですが、今はどなたもいらっしゃいませんから、自分の話にどういうふうに皆さんが反応しているのかが分かりません。マイクを通して、またインターネットを通して皆さんに伝わり、聞いて頂いています。こうしてご命日の日には大聖堂で声を出してお話しできることは、私の体にとってはとても有り難いことです。

ですから、人と話ができないこのような時には、ご供養をきちんとすることが大事です。また、人間が「いきいきしている」という時の「いき」は、「息」に通じます。息、呼吸を深くすることが生きていく上でとても大事で、いきいきしている人は呼吸が深いといわれています。

特に現代人は日頃から、浅い呼吸になってしまっているそうです。じっとしていると呼吸がどうしても浅くなるため、時々、6回息を吐くことにしています。そうすると、自然に深く空気が吸い込めるのです。「はっはっはっはっはっはっ」と古い空気を吐き出すと、新しい空気が入ってきます。

「いきが良い」とは、良い息、力強い息をしていることを表しています。また、「息」という字は、「息子(むすこ)」や「利息」という言葉にも使われています。「息」には、生命がどんどん発展するという意味があります。このことからも、息を深くするという良い習慣が、とても大事だと分かります。

「人間の生活は習慣の織物である」といわれます。ご供養をして、心や頭の働きを良くして、常に深い息遣いをしていくことが、コロナ禍で活動が限られ、家で自粛生活を送るような時だからこそ大切なのです。ご供養を通して息を深くして、そしてゆったりと行動する。現代人は忙しいといわれていますから、こういう時こそ、そうした新たな習慣が、いのちのために、体のためにとても大切になります。
(5月15日)

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