立正佼成会 庭野日鑛会長 1月の法話から

仏さまのプレゼント

仏さまは、私たちに耐えられない試練は与えないといわれています。いろいろなことがあっても、「全て自分に必要なのだ」「全てが私たちを成長させるための仏さまのプレゼントなのだ」ということです。ですから、いろいろな苦しいことがありますけれども、「自分に必要なのだ」「自分が成長するためなのだ」と受け取れたら、一人ひとりが皆、個性を輝かせることができると思います。
(1月10日)

個性を発揮して輝く

「自分は開闢(かいびゃく)以来のただ一人」。佐賀藩の古賀穀堂(江戸時代後期の儒学者、教育者)の言葉です。

よく考えてみますと、私たちは一人ひとり、同じ人はいませんから、皆が開闢以来のただ一人だと思います。今、世界の人口は80億近くといわれていますけれども、それだけ大勢の人がいても、同じ人は一人としておらず、皆がそれぞれに個性を持っています。まさに「開闢以来のただ一人」であり、そういういのちをお互いに頂いているのです。

何十億もの人間がいる中で、ただ一人の人間として個性を発揮し、それが世のため人のためになれば、輝かしい人生であったといえます。私たちは法華経を通して、そうした輝かしい人生を送る人間になっていくとの信念で精進させて頂いています。

お釈迦さまは開闢以来のただお一人で、開祖さまも、脇祖さまもそうです。私たちも開闢以来のただ一人であります。それぞれが個性を発揮して人のためになっていくことが素晴らしい人生を歩むことになるのです。
(1月10日)

画・茨木 祥之

悲しむことがあってこそ

他の人が困っている姿を見て悲しむことは、人間の情緒の最も尊い働きの一つといわれています。

人間が他人のことを悲しめるようになるには、よほど精神が発達していなければできないことだというのです。人が自分の親、兄弟姉妹、子供ばかりでなく、友人のこと、世の中のこと、もっと大きくは国のことを悲しむようになってこそ、初めて文明人といえるとのことです。そうした人がいるところこそ文明国であるとされています。ですから、悲しむことは、本当に尊い人間の精神の働きであり、とても大切にしていかなければなりません。

「慈悲」という言葉の中にも「悲」、悲しむということが出てきます。本当に大事な心をお釈迦さまは教えてくださっています。またキリスト教では、神の愛ということで、「愛」をとても強調しています。

人間は、もののいのちが無視され、犠牲にされるのを悲しく思います。愛すれば愛するほど、そうしたことは悲しいものです。日本では昔から、「愛」という字を「かなし(愛し)」とも読んでいました。そういう日本の言葉は、とても情緒豊かで、深い精神性が込められたものです。

そして、愛することや悲しむことがなくては、仏教も儒教もないとさえいわれています。

こうしたことからも、佼成会で苦しんでいる人をお導きしたり、教会においで頂いたり、いろいろと手どりをしたりすることが、いかに大事なことかが分かります。教会には、教会長さんはじめ、支部長さん、主任さん、組長さんもおられます。そうしたお役を通して、人々のために手を差し伸べていく菩薩行が、いかに尊く、大事なことであるかということです。

一人ひとりが精神性を高め、本当に日本が精神性の高い文明国、文化国家になっていくよう、お互いに努力していく。このことが、世界の平和にも貢献していくのです。
(1月15日)