立正佼成会 庭野日鑛会長 10月の法話から

自らの徳に気づく

儒教に、「天地(てんち)の大徳(だいとく)を生(せい)と曰(い)ふ」とあります。人間として生まれることは、大自然の中の大徳、大きな徳のある人間として、この世に生まれてきたのだ――このような教えです。

ですから、その徳を発揮するように生きていくことが大切です。「天地の大徳」を頂いたからには、人間はいかに生きるか、いかに生きていくべきかを仏教から学び、それに沿って修行させて頂く――私は、儒教も仏教も、結局は同じところに行き着くのではないかと受け取っているのです。

また、「徳は得(とく)なり」という言葉があるそうです。私たちは、徳をなかなか磨けないとか、徳が高まらないと言うことがありますが、本当は全てが大自然から得たもの、あるいは親から生んで頂いた体の中に、すでに具(そな)わっているものだということです。

ですから、そうして与えられたものを、発揮しさえすればいい。大自然から大きな徳をいっぱい頂いていることに気づきなさいというのが、儒教の教えの素晴らしいところの一つです。仏教という教えだけにとどまらず、人間としてこの世に生まれ、生きている以上は、いろいろな教えを通して、人間らしい人間、徳の持てる人間に自ら成長していくことが大切です。
(10月1日)

画・茨木 祥之

大徳を生かすために精進を

今日から10月です。ちょうど秋の真ん中の月になります。秋になると、夜空には、きれいな星が見えてきます。星の動きは、人間の目で30分ぐらい見ていても、ほとんど変わりません。お月さまも、東からだんだん上ってきますが、30分ぐらい見ていても、多少は動いたなという感じがするぐらいです。また太陽も、東の暁(あかつき)の空を見ていると、ゆっくり、ゆっくりと上がってきます。大自然の現象は、そのようにゆったりと進み、上ったものは、必ず沈むという働きを続けているのです。

私たちも、大徳、大自然から頂いている徳を、ゆっくりゆっくりと熟成させて、進歩させていくことが、とても大事になります。

私たちには、親から頂いた、あるいは大自然から頂いた人間としての徳、知性、情といったものが、いっぱいあるわけですから、それを生かして、人さまのためになっていきたいものです。それには、やはり「精進、精進、死ぬまで精進、生まれ変わったらまた精進」という気持ちで、お互いに精進をさせて頂くことが最も大事だと思います。
(10月1日)