ミンダナオに吹く風(25) ピキットの丘にある要塞跡で 写真・文 松居友(ミンダナオ子ども図書館代表)

ピキットの丘にある要塞跡で

立正佼成会の皆さんと一緒に、「ゆめポッケ」の配付をかねた「平和の祈り」を開催したい場所はたくさんあるが、とりわけイスラーム地域のピキットの丘にある史跡、16世紀にスペイン軍がつくった石造りの要塞(ようさい)跡は、いつか必ずご一緒し、「平和の祈り」を行いたい場所の一つだ。

16世紀以降、フィリピンを支配したスペイン人は、フィリピン土着のイスラーム教徒を「モロ」と呼んだ。それはスペインに進出したイスラーム教徒ムーア人に対する蔑称だが、人類学者の鶴見良行は著書の中で、「ミンダナオのムスリムは、逆にクリスチャンにたいする抵抗を示すために、あえてその蔑称を選び、みずから「モロ族」を自称するようになった。そのモロ族は、カトリックに教化したクリスチャン・フィリピノの中央政府に、今日でも容易に服従しようとはしない」(註:鶴見良行『バナナと日本人』岩波新書)と解説している。

そして、この地は今もしばしば戦闘が起こり、私たちも幾たびとなく戦争避難民の救済に向かった場所だ。実はここは日本とも深い関係を持ち、第二次世界大戦では日本軍がこの要塞跡に司令部を構え、米軍との激戦となった。丘の要塞跡には、日本軍によって掘られた防空壕(ごう)が網の目のようにあり、遺品も遺骨も眠っているのだが、現地の人は恐れて入ろうとしない。また、日本政府の指定する高度の危険地域ということで、調査も全くなされていない。

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