利害を超えて現代と向き合う――宗教の役割(89) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)

友愛の経済学と「和」の平和主義

最近、人の生きざまやその結果が人生の最後に現れると思うことが少なくない。若い時は、健康やエネルギーがあって、例えば悪事をしていても羽振りが良かったりして、結果が必ずしも明確に現れていないように見えることも多い。しかし、齢(よわい)を重ねるにつれて、人生の実質が表面化してくるように思えるのである。

私は、高齢の両親に対してケアワーカーのような動きをしつつ直近でその姿を見ていたから、非の打ち所がない晩年ではなかったという印象を持っている。それでも安らかな死を迎えられたと感じて、安堵(あんど)するとともに思い当たったことがある。

父(小林彌六=こばやし・やろく)はマルクス経済学者として出立したが、その研究を通じて、マルクス経済学の依拠する根本理論(労働価値説)の正しさが証明できないことに気づいた。当時の関連学会の中で白眼視されつつも、他の根本理論(私的唯物論など)についても同様の疑問を感じて、新しい見解を提起しようとした。

私は若年時に父と議論して、マルクス経済学の誤謬(ごびゅう)を明示するように激励し、父はそれを受けて新しい経済学を提起した。友愛を根本的な経済的理念としたため、それを「友愛経済学」と呼び、資本主義と社会主義に代わる新しい理想社会の実現を目指すが故に、「新ユートピア経済学」という表現も使った(『友愛主義宣言』『新ユートピア経済学』たま出版など)。この「友愛」の理論は、私自身の「友愛世界」の議論(『友愛革命は可能か』平凡社新書、2010年)と呼応している。

さらに父は、この理論の根底として、現象の世界を超えた実在の世界が存在すると考えるに至り、聖徳太子に注目して、「和を以(もっ)て貴しと為(な)す」という言葉に表れた平和主義と徳義の思想を高く評価した(『いま、聖徳太子の知恵が未曾有の国難を救う』ごま書房新社、2002年)。

戦時中に育った父は、強固な平和主義者であり、弥勒(みろく)菩薩が「友愛」(マイトリー:慈愛、友情)という語源を持つことを知って、自らの「彌六」という名前に新しい意義を見いだしていた。「和」と「彌」という字が戒名に入ったことを知れば、満足するに違いない。

私自身は30代はじめに実家を出てから、父との学問的協働作業を行う機会はなくなり、父の見解を吟味することもなくなったから、その著述に細部にまで賛成できるとは限らない。それでも、友愛経済学の大要や、その目指すところは、今でも有意義であり、その価値故に、安らかな死を迎えられたのではないか――そう思い至って納得したのである。

もちろん死に方と仕事の意義が直結するわけではなく、素晴らしい仕事をした人にもさまざまな死に方があるだろう。上記の思いは、心の慰安を求めた愚息の臆見(おっけん)に過ぎないかもしれない。それでも、父の死を契機として、私自身が創成に立ち会った「友愛経済学」の意義を思い返し、その美点を継承して、今後の社会科学、そして経済の新生に活かすように微力を尽くしたいと30年ぶりくらいに思ったのである。

プロフィル

こばやし・まさや 1963年、東京生まれ。東京大学法学部卒。千葉大学大学院社会科学研究院長、千葉大学公共研究センター長で、慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科特別招聘(しょうへい)教授兼任。専門は公共哲学、政治哲学、比較政治。2010年に放送されたNHK「ハーバード白熱教室」の解説を務め、日本での「対話型講義」の第一人者として知られる。日本ポジティブサイコロジー医学会理事でもあり、ポジティブ心理学に関しては、公共哲学と心理学との学際的な研究が国際的な反響を呼んでいる。著書に『サンデルの政治哲学』(平凡社新書)、『アリストテレスの人生相談』(講談社)、『神社と政治』(角川新書)、『武器となる思想』(光文社新書)、『ポジティブ心理学――科学的メンタル・ウェルネス入門』(講談社)』など。

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