『現代を見つめて』(9) 文・石井光太(作家)

ナイロビのスラムに見た 助け合う習慣

ケニアのナイロビは、世界でも治安の悪い都市として知られている。特に郊外には貧困者が暮らすスラムが広がっていて、現地人でも近づこうとしない。

ある日、私は取材でスラムを通るローカルバスに乗ることになった。通訳からは、外国人がバスに乗るなんて自ら犯罪に遭いに行くようなものだ、と脅かされた。スリ、ひったくり、暴行なんでもありだ、と。

だが、バスに乗車したところ意外な光景に出くわした。たしかに車内には貧しい人がたくさん乗っていたが、出発して一分も経たないうちに、座席にすわっていた十代の青年が「どうぞ」と席を譲ってくれたのである。当時の私は三十代だったにもかかわらず、である。

同じ光景はバスのあちらこちらで見られた。少しでも年上の人がいればみな座席を譲り、バッグを背中にかけていれば「スリに狙われるから前にかけろ」と注意してくれる。私が乗り過ごさぬようにと、運転手に目的地を念押ししてくれた人もいた。スラムのバスでこんなに親切にされるとは思ってもいなかった。

後日、私はスラム出身のNGO職員にこの話をした。彼はこう答えた。

「スラムの人って助け合いがなければ生きていけないんです。みんな国に助けてもらえないでしょ。だから、個人レベルで食事を分けたり、危険を防いだりと、支え合いの精神が強い。困っている人に習慣的に手を差し伸べるのは、そのためだと思います」

翻って日本はどうだろうと思った。

日本人は福祉を国や会社任せにする。シルバーシートを作らせ、バスチケットを無料にさせ、駅員に車椅子を押してもらう。一方で、乗客は「国や会社がやるべきことだ」とばかりに自分たちは何もしない。

国や会社が福祉に取り組むことは決して悪いことではない。だが、それと個人レベルの助け合いをしないというのは別の話だと思う。いくら国や会社が福祉を手厚くしても、思いやりが希薄な社会になってしまう。

日本とケニアのどちらが良いという話ではない。ただ、日本の駅で外国人が迷っていたり、バスでお年寄りが立っていたりする前で、若者がゲームに夢中になっている姿を見ると、ふとナイロビの埃だらけのバスが懐かしくなるのである。

プロフィル

いしい・こうた 1977年、東京生まれ。国内外の貧困、医療、戦争、災害、事件などをテーマに取材し、執筆活動を続ける。『アジアにこぼれた涙』(文春文庫)、『祈りの現場』(サンガ)、『「鬼畜」の家』(新潮社)など著書多数。近著に『世界の産声に耳を澄ます』(朝日新聞出版)、『砂漠の影絵』(光文社)がある。