利害を超えて現代と向き合う――宗教の役割(78) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)
画・国井 節
自業自得の「第9波」
新型コロナウイルス感染症の流行が続いている。第9波が長引いて影響が深刻化し、各地の学校で学級閉鎖や行事の中止、公共交通機関の運休、医療崩壊、救急車の出動が逼迫(ひっぱく)するといった状況がようやく報道され始めた。第8波に近づいていると言われ始めたが、実際のレベルは誰にも正確には分からない。
なぜなら、政府が感染症法上の5類に新型コロナを移行させて、マスク着用すら勧めなくなってしまい、検査の有料化により、感染しても検査しない人が増えたからだ。定点での感染状況が広報されるだけで、日々の感染者数の報告もなされていない。だから、今の感染者数は正確には分からず、想像するほかない。実際の感染者数は2~3倍になっていて、下水に含まれるウイルス濃度のデータや東京都の高齢者に限定した感染状況のデータを見ると、すでに第8波を超えているという推測もなされている。つまり、日本では過去最悪の状況となっているわけだ。私の周辺でも、今月になって次々と感染者が現れた。
残念ながら「(コロナ)感染(自由)放任主義」(第74回)を政府が取るに至った以上、このような結果になることは自明であり、予想通りだ。そして日本国民の多くがそれを容認した以上、日本にとっては自業自得とも言わざるを得ない。
処理汚染水の海洋放出
しかし、福島第一原子力発電所の事故に伴う放射能汚染水を処理水として海洋放出することは単に自業自得と言うばかりではない。政府や東京電力は処理水がALPS(アルプス)という装置によってトリチウムが除去され、「国際的な安全基準に合致している」から問題はないと説明する。しかし、批判者たちによれば、「放出総量や期間が分からない以上、海水中の堆積や食物連鎖などによる健康被害について検討される必要がある」「ヨウ素129、ストロンチウム90、セシウム137など、他の主要な核種(放射性物質)は除去しきれずに基準量を超えているのに、政府や東電は明確に説明しようとしない」という。現に、2018年9月28日に東電が汚染水89万トンを調べたところ、8割以上の75万トンで、トリチウム以外の放射線物質の濃度が、外部に放出する際の基準を超えていたのである。
よって、東アジアや太平洋諸国などの周辺諸国が海洋放出に反対したり、懸念を示すのはむしろ当然であり、理にかなっている。ソロモン諸島のマナセ・ソガバレ首相が23年9月22日の国連総会で、日本の汚染水放出に「愕然」としたと述べて非難し、即時中止を求めたのも、その現れだ。
他国民への被害という環境的不正義
倫理的な観点から見れば、コロナ感染の問題とは違って、これは周辺諸国などの他者に被害を与える行為である。個人で考えてみれば、この相違は明らかだろう。ある人がたばこや麻薬を摂取するなど健康を害する可能性が高い行動を取っても、その被害を受けるのは本人自身だ。そこで、リバタリアニズム(自由原理主義)やリベラリズムでは、そのような愚行を行う権利(愚行権)も個人には存在するから、他者に迷惑を与えない限り、それは禁止できないと考える。逆に、他者に迷惑を与えるならば、そのような行為を禁止できるのである。
このアナロジーで考えてみよう。国家が感染症自由放任主義を採用して、マスクを外すことを推奨するような雰囲気を醸成すれば、国民に感染症の被害が増加することは自明だ。でも、このような国家的愚行を行っても、それは国家としての自己統治(自治)の結果だから、国家がそのような方針を取ることを他国や国際社会は禁止できない。
これに対して、汚染水を海洋放出すれば、漁業者が反対しているように、まずは自国民に被害を与えうるが、それだけではない。他国民にも被害を与えてしまうわけだ。国家としての愚行権という考え方を適用しても、これは認められない。中国は日本を「全世界にリスクを転嫁し、痛みを子や孫の世代に与え続けるもので、日本は生態系、そして海の汚染者となる」と激しく批判しているが、確かに日本のこの行為は正義にかなっているとは言い難いのである。環境に関する正義を環境的正義というので、これは環境的不正義ということになるのである。