利害を超えて現代と向き合う――宗教の役割(76) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)
徳義自由共生主義の公共的道徳
この連載で、「徳義共生主義(コミュニタリアニズム)」は、「徳義」という言葉に表れているように、美徳を重視する道徳的・精神的思想だと述べてきた。でも、この思想は、前近代的な封建的思想とは異なる。「共同体主義」と訳してしまうと、「同じ」思想や行動を強制する右翼的思想を連想しやすいために、あえてカタカナ書きで「コミュニタリアニズム」としている。さらに、自由や権利を尊重する近代的思想を前提にしていることを明示するために「リベラル・コミュニタリアニズム」と呼ぶこともある。「コミュニタリアニズム」は日本人には発声しにくいので「徳義共生主義」という表記を用いれば、「リベラル・コミュニタリアニズム」は「徳義自由共生主義」となろう。
この思想と道徳との対応関係を考えれば、右翼的な共同体主義には、お上から与えられた規則を守る「硬直的道徳」が対応する。大使の感じた「同調圧力」はまさに「同」を押しつけるこの発想である。
これに対して、リベラル・コミュニタリアニズムには理性的な「自律的道徳」がふさわしい。徳義自由共生主義で重視される「道徳」は、自由な思惟(しい)に支えられて、共に生きることを容易にするという点で、自由で柔軟な道徳である。
それは、優先席に座る人を単純に断罪せず、自由な選択によって、必要に応じて譲ることを期待する。もちろん、優先席に座らないというのも、自由な思惟の結果なら、意思に基づく一つの選択である。いずれにしても、必要な時に、席を要する交通弱者を助けるという、利他心を備えていることになる。
優先席の公共的議論が促す公共的道徳世界
優先席は世界各地で存在するが、日本では1973年に「シルバーシート」が国鉄で導入されたのが本格的な開始だという。「おもいやりゾーン」とか「ゆずりあいの席」と表記されていることもあるように、ここには利他的・互助的な道徳の理念が込められている。
優先席など要らないという考え方もある。確かに、理想的な道徳的社会では、人々が交通弱者に自発的に席を譲るから、優先席は必要がないだろう。けれども、残念ながら「いま」の社会はそうではない。むしろ利益や快楽の追求が横行して道徳心が退廃しつつある。だから、優先席がなくなれば、交通弱者は席につくことが今よりも難しくなってしまうだろう。
その中で、優先席の存在は、「必要な時は席を譲る」という公共的道徳を人々に想起させる役割を果たす。しかも人々が私的に思うだけではなく、大使のツイッターや新聞などの公共的メディアが公共的道徳について公共的議論を促せば、それは道徳的意識の再確認や覚醒の機縁となり得るだろう。もちろん、これは一つの契機にしか過ぎない。それでも、このような小さな契機が複合して、公共的道徳世界へとつながることを願いたいものである。
プロフィル
こばやし・まさや 1963年、東京生まれ。東京大学法学部卒。千葉大学大学院人文社会学研究科教授で、専門は政治哲学、公共哲学、比較政治。米・ハーバード大学のマイケル・サンデル教授と親交があり、NHK「ハーバード白熱教室」の解説を務めた。日本での「対話型講義」の第一人者として知られる。著書に『神社と政治』(角川新書)、『人生も仕事も変える「対話力」――日本人に闘うディベートはいらない』(講談社+α新書)、『対話型講義 原発と正義』(光文社新書)、『日本版白熱教室 サンデルにならって正義を考えよう』(文春新書)など。
利害を超えて現代と向き合う――宗教の役割