現代を見つめて(81) 「できること」って何だろう… 文・石井光太(作家)
「できること」って何だろう…
二月六日、トルコとシリアで起きた大地震の死者が5万人以上になった(二十六日現在)。
シリア側の被災地域には内戦中の地区も含まれていることを踏まえれば、犠牲者の数は公表以上だと推測される。十二年前に起きた東日本大震災の犠牲者をはるかに上回ることになる。
東日本大震災が起きた後、私は被災地の様子を取材し、ルポルタージュにしたことから、講演会など様々なところでその体験を話す機会を得た。そこでもっともよく尋ねられたのが、次のような質問だった。
「私も支援をしたいと思っているのですが、自分が役に立つのか自信がありません。私は何をすればいいのでしょうか」
受験勉強の影響なのか、日本人には一つの〈正解〉を求める国民性がある。被災者支援でも、この支援こそが正解で、それ以外は間違いと考える傾向にあるのだ。だから、右へ倣えで全員が食糧を送ったり、スコップを持って被災地の片づけに行ったりするので、余剰が出てしまう。
どのような災害でも、被災者が置かれている状況は一つひとつ違うし、求めている支援も異なる。特に長期の支援ではそうだ。ホームページ作りの手伝いを願っている人もいれば、被災地の十年の移り変わりを撮影してほしいと願っている人もいる。
実際、東日本大震災の被災者の女性からこう言われたことがある。
「亡くなったお父さんが夢に出てきたんです。すごく優しい顔をしていたから、忘れないうちに記録したいんです。けど、私は絵が下手なんで、イラストの上手な方を探しているんです」
イラストの得意な人がいれば、この女性の心を一生支えるような絵を提供できただろう。
支援には多様性が必要だ。だからこそ、支援を思い立った時、正解を求めるのではなく、自分のできることは何かを考え、個々に動くことが大切なのだ。それをして初めて、被災者が求める多様なニーズに応えることができる。
トルコは世界有数の親日国だ。きっかけは、一八九〇年に日本で遭難したトルコの軍艦の乗組員を日本人が救出した「エルトゥールル号遭難事件」にあると言われている。
あれから一世紀以上が経った今、もう一度日本人の善意と力が問われているのかもしれない。
プロフィル
いしい・こうた 1977年、東京生まれ。国内外の貧困、医療、戦争、災害、事件などをテーマに取材し、執筆活動を続ける。『アジアにこぼれた涙』(文春文庫)、『祈りの現場』(サンガ)、『「鬼畜」の家』(新潮社)、『43回の殺意――川崎中1男子生徒殺害事件の深層』(双葉社)、『原爆 広島を復興させた人びと』(集英社)など著書多数。