利害を超えて現代と向き合う――宗教の役割(63) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)
画・国井 節
イスラームとの「文明の衝突」
ウクライナでの戦いは、なお続いている。ロシアは首都キーウ(キエフ)の攻略に失敗したが、東部ドンバス地方と南部の支配へと目標を下方修正して、戦争は長期化の様相を見せている。注目されていた戦勝記念日(5月9日)の演説で、プーチン大統領は侵攻を正当化した。
3月(連載61回)に書いたように、この戦争は「文明の衝突」と見ることができる。今から20年ほど前、私は2001年の「米国同時多発テロ事件」(9・11)の衝撃下で『非戦の哲学』(ちくま新書、2003年)などを刊行し、アフガニスタンやイラクに対するアメリカの武力攻撃や日本の協力を、「反テロ」世界戦争と呼んで批判した。この本の読者から、今日の事態をどのように見ているのか書いてほしいという依頼を頂いた。
当時は、武力紛争を文明という観点から捉えるのに反対して、「経済的な利害から説明すべきだ」という研究者が多かった。それに対して私は、『文明の衝突』(サミュエル・ハンチントン著、集英社、1998年)や文明論の観点からの見方を説明して、経済的要因も大事だが、その背景に文化・文明の問題があることを強調した。そして西洋側からの武力攻撃は、国際法から見て不当であると同時に、イスラーム文明からの抵抗と反撃を引き起こし、紛争を激化させると反対したのである。
その後の展開を振り返ってみれば、イスラーム世界では反米的潮流が強まり、イスラーム国が誕生して一時的には大きく拡大した。イラクには大量破壊兵器がなく、イラク戦争の不当性が明らかになった。昨年にはアメリカ軍はアフガニスタンから撤退し、イスラーム主義勢力「タリバン」による政権が復活した。
これらの結果を見れば、今となっては西洋側の武力介入が失敗したことは明らかだ。前掲書などで危惧した通りの帰結となっている。ただ、この結果が明確になるまでに約20年を要したわけだ。