利害を超えて現代と向き合う――宗教の役割(62) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)
画・国井 節
春爛漫
桜が咲いて新学期が始まる季節になった。小学校の新入生はランドセルを初めて背負い、胸を膨らませて新しい校舎に通い始める。もっと年上の生徒たちも、気分を一新して新学年に臨むだろう。
前回(第61回)に書いたように、今は重層的な「文明的危機の時代」だ。コロナ対策は次々と後退を続けているがゆえに、予想通り感染が収束せずに全国的なリバウンドが始まって第7波が到来しつつある。ウクライナでは悲惨な戦争が続いている。最近は、全国各地で地震が頻繁に起こっている。いずれにおいても生命が脅かされている。短期的には、希望を捨てずに世界平和の回復と日本の安寧を祈りつつ、自衛を図り、政治に働きかけ続けるしかない。
なぜこのような事態を迎えてしまったのだろうか。前述の危機には、プーチン大統領や天災などの独自要因があるものの、現在の政治経済の状況を考えてみれば明らかなように、文明全体が危機に陥っている根源は、多くの人間が善き生き方を見失い、深い思考力を培えず、正しい行動を取ることが難しくなってしまったからである。この根本問題を改善するためには、迂遠(うえん)なようでも教育に目を向ける必要がある。
何を学ぶのか
第58回で「ポジティブ養育」について書いた。小学生からは本格的な教育と学習が始まるが、今は受験勉強に代表される知的な勉強にすぐに目を向ける人が多いだろう。しかし、知識を得るだけでは必ずしも「善い生き方」はできない。受験勉強に偏る弊害はかねてから指摘されてきたが、最近は、ハーバード白熱教室における対話型講義で知られるマイケル・サンデルも、ベストセラーになった『実力も運のうち 能力主義は正義か?』(鬼澤忍訳、早川書房、2021年)で、アメリカにおいて、いわゆる「良い大学」に入って勝者となろうとする能力主義を批判している。
日本ではこの改善を目指して、教育改革や入試方法の改革などさまざまな試みが行われてきた。それでも問題が十分に改善しないのは、最重要課題から目が逸(そ)れているからだ。学校で通常学ぶ知識と知恵は同じではない。よって、優れた生き方を促すためには、知恵をはじめとする美徳を培うことが必要だ。これを習得できるようにすることが教育改革の最優先課題たるべきである。
教育改革の議論の中には、愛国主義を中心にする道徳教育の強化論があり、平成18年の教育基本法改正でも議論の焦点となった。でもこれだけでは、国の間の衝突を招きかねず、例えば世界平和の回復には必ずしもつながらない。
もっとも大事なのは、健やかな心を育てて全人的な成長を促し、「善い生き方」を可能にすることであり、それによって知恵を含めたさまざまな徳を身につけることだ。それとともに知識を習得して初めて、政治経済の改善、そして新しい文明の生成につながるような展望が開けるだろう。