利害を超えて現代と向き合う――宗教の役割(1) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)

なぜ宗教が社会や政治に関わるべきなのか?

今日における宗教の役割とはどのようなものだろうか? まずは、良い生き方を教え、人々を導いたり救ったりすることが頭に浮かぶだろう。宗教である以上、これは不可欠だ。では、政治や社会に対して働きかけることは宗教の果たすべき努めだろうか?

これらを宗教が行うべきかどうかについては、意見が分かれてくるだろう。中には、心の問題や救いだけを考えればいいとする宗教もある。歴史的には、貧困や戦乱の中にあって、多くの人々は自分自身で生きていくのに精いっぱいということもあったから、このような宗教も一概に否定はできない。

けれども現代ではどうだろうか? 最近は日本でも貧困問題が大きくなり、他者を見渡す余裕のない人が増えてきたとはいえ、まだ他人や社会の問題についても考えたり行動したりすることのできる人も少なくはない。気持ちさえあれば、可能なのだ。

たとえば、環境や福祉などについての社会活動や献金活動を宗教として推進すべきかどうか。これについての考え方によって、その宗教の性格が変わってくる。慈悲や愛は、多くの宗教が重視している。慈悲や愛を、個々人の関係だけに当てはめて考えている場合も少なくはないだろう。でも、貧しい人々を助けるのは、紛れもなく優しい行為である。昔なら個人の行いとして行われていたが、今では福祉活動として行われることが多い。ボランティアとしてこのような貢献をするのは、利他的な行為になりうるのだ。よって環境や福祉のための活動は、現代の宗教における慈悲や愛の具体的発現となる。これらに力を注ぐ宗教は、教えの精神を生かして、今という時代に対応した優れた活動をしていると言えるだろう。

画・国井 節

それでは政治活動はどうだろうか。政治においてはさまざまな意見があるから、簡単ではない。政治活動を行うと批判も受けやすい。宗教はこのような俗事から超然としていた方がいいという考え方もありうるだろう。とはいえ、政治は多くの人々の人生を左右する力を持つ。たとえば戦争が起こってしまえば、その地域の人々は生命や財産を失いかねないから、とてつもない不幸に陥ってしまう。その危険を見て見ぬふりをするのは、慈悲や愛に反しているだろう。

声明などを出し政治や経済について発言することによって、宗教はどのような独特の貢献をしうるだろうか? 実は政治経済は、関係する人々の私的な利害によって動かされることが多い。意識的であれ無意識のうちにであれ、議論がその団体や論者の立場、利益にしばしば左右されているのだ。

これに対して、生き方や社会のあり方について高い理想を示すのが宗教の大きな役割だから、この世における利害関係に影響されにくい。政治経済においては厳しい現実に目を奪われて、ややもすると理念が失われがちだから、宗教的な観点からの議論は、高く大きな視点を思い出すために有意義なのだ。悲惨だったり汚かったりする政治経済や社会の問題を論じる際に、宗教的な理想に基づく考え方は、清涼剤のような役割を果たしうるのである。

もっとも宗教は、遠く離れた過去の教祖や開祖の教えに基づくことが多い。今の政治経済についてどう考えるべきなのかは、聖典や教典には書かれていないことがしばしばある。これらについて宗教の観点から考えを示すことは簡単ではない。同じ宗教の信者でも意見が分かれることが少なくない。そこでこのような問題は避けて、教えとして明確に示されている生き方の問題に絞って活動しようという誘惑も大きいのだ。

でも、そうしてしまうと実際には理想が社会や政治経済から失われ、利害関係だけによって世界が動きやすくなってしまう。そうすれば利己主義や私的欲望が席捲(せっけん)してしまうことになる。多くの宗教的な教えによれば、それは人々にとって不幸をもたらしかねないのだ。

だから、宗教が社会や政治経済に対して発言したり働きかけたりすることは大事だ。そのためには慈悲や愛とともに知恵も必要だろう。それらに基づいて、利害を超えて行くべき道を人々に示すのが、現代の世界における宗教の果たすべき貴重な役割なのだ。

プロフィル

こばやし・まさや 1963年、東京生まれ。東京大学法学部卒。千葉大学大学院社会科学研究科教授で、専門は政治哲学、公共哲学、比較政治。米・ハーバード大学のマイケル・サンデル教授と親交があり、NHK「ハーバード白熱教室」の解説を務めた。日本での「対話型講義」の第一人者として知られる。著書に『神社と政治』(角川新書)、『人生も仕事も変える「対話力」――日本人に闘うディベートはいらない』(講談社+α新書)、『対話型講義 原発と正義』(光文社新書)、『日本版白熱教室 サンデルにならって正義を考えよう』(文春新書)など。

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