利害を超えて現代と向き合う――宗教の役割(44) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)

真理への冒瀆

前政権の官房長官だった菅首相は、その強権的体質を体現しており、政策に反対する官僚には人事権を行使すると公言して、力や威嚇・恐怖による支配という相貌(そうぼう)を如実に現しつつある。

その象徴が、日本学術会議会員の任命拒否問題だ。首相は「総合的、俯瞰(ふかん)的な活動を求める観点」からの判断だと弁明したが、拒否された6人は皆、安保法制や特定秘密保護法に反対の意志を表明した人文社会科学研究者だ。よって、政権の方針に異を唱える研究者を排除したと推測できる。学術会議への首相の任命は形式的で実質的任命権はないというのが従来の政府見解で、任命拒否はこれに反している。安保法制改定などと同じように、違憲・違法のほか、公文書改竄(かいざん)の疑いが学術会議の会長経験者や法曹団体から指摘されている。

政権側は、メディアへの圧力に続いてアカデミーの世界への本格的介入を始めたわけだ。この「学問の自由」の侵害に対して、野党のみならず理工系93学会や日本宗教学会も含めた各種学会が次々と抗議声明を出すという緊迫した事態へと発展している。

これは、戦前の学問弾圧を想起させるような、深刻な歴史的事件である。学問の理念は、真理の追究だ。それは、各領域の研究者が自律的に行うべきことであり、そこから導かれる見解は多様でありうる。その見解を政治的に統制しようとすれば、真理の追究という貴重な営為が萎縮することになる。これは、真理を冒瀆(ぼうとく)することに等しい。

続いて故中曽根康弘元首相の内閣・自民党合同葬(10月17日)に対して政府が予備費を約9600万円も支出する上に、文部科学省は全国の国立大学などに対して弔意の表明を求める通知を出した。元首相の葬儀に関する初めての要請である。強制ではないというものの、弔意という内心の領域に公権力が指示を出したわけだ。学問に続いて宗教的領域でも政治権力の行使が始まったことが分かるだろう。

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