利害を超えて現代と向き合う――宗教の役割(34) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)
正しく語り行い、正しく仕事をするという政治家の徳
もちろんこれらは、政治家にも要請されることだ。政治家はまさに職業として政治を行っているのだから、市井の人々とは異なって、正しく見て考えることは必須の要件ですらある。
さらに、「正語」「正業」「正命」も政治家には強く求められる。嘘(うそ)を言わずに、聞かれたら正直かつ正確に答えることが、正しい言葉の使い方だ。国会や記者会見では、政治家たる者は当然正しい言葉を使わなければならない。もちろん、日々の政治的業務において正しく行い、政治家という尊い職業を正しく遂行することが、政治家における正業や正命に相当するだろう。これらに精進することが、政治における「正精進」ということになる。
国会議員は人々の生活を左右する大事な役割を担っているから、選良と言われるように、資質や能力において優れた人々が選ばれるべきだ。そうであるがゆえに、このように正しい生き方をして、公共的な徳を発揮することが、一般の人々よりも強く要請されるのだ。
徳によって政治を浄化する正しい道
徳の高い政治家を選び、選出された政治家の言動をこのような観点から見て判断すること、さらに政治について語り、投票をはじめとする行動をすることは、民主主義においては人々の責任である。それは、市民の正見・正思・正語・正業であり、そのためにつとめることは正精進と言うべきだろう。
それがあって初めて、政治の質が向上し、それによって皆が幸せな社会が可能になる。幸せな社会の基礎は、人々自身が公共的な美徳の涵養(かんよう)に努めてそれを発揮することにかかっているのだ。
自分たちが培っている正しい価値観・世界観に基づいて、そうつとめていこう。たとえば宗教的な世界観から、塵埃(じんあい)にまみれがちな世俗の政治を清々(すがすが)しい超越的な観点によってまずは見て考えるのである。たとえば国会での議論や政府関係者の記者会見を、人為的に編集されているニュースに頼らずに、しばしの間、映像で実際に見てみたらどうだろうか。
このようにつとめた時、視界に映る現実政治は汚濁に満ちている場合もあり、そこから目を背けたくなるかもしれない。でも、それをありのままに見て考えることが、それを洗い清めるために必要な第一歩だ。
徳義共生主義における「徳義」とは、徳に基づく正しさ(正義)を意味する。それを実現するのが正しい道、つまり政治における正道でもある。人々が政治において公共的な徳を発揮して正しい道を実践することが、政治を甦(よみがえ)らせ、ひいては人々の幸せを実現するために最重要な要件なのである。
プロフィル
こばやし・まさや 1963年、東京生まれ。東京大学法学部卒。千葉大学大学院人文社会学研究科教授で、専門は政治哲学、公共哲学、比較政治。米・ハーバード大学のマイケル・サンデル教授と親交があり、NHK「ハーバード白熱教室」の解説を務めた。日本での「対話型講義」の第一人者として知られる。著書に『神社と政治』(角川新書)、『人生も仕事も変える「対話力」――日本人に闘うディベートはいらない』(講談社+α新書)、『対話型講義 原発と正義』(光文社新書)、『日本版白熱教室 サンデルにならって正義を考えよう』(文春新書)など。
利害を超えて現代と向き合う――宗教の役割