利害を超えて現代と向き合う――宗教の役割(29) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)
画・国井 節
選挙における宗教的・哲学的視座(1) 政治的倫理と道義
前回の寄稿を執筆した後も、日本外交の不調が続いている。安倍首相のイラン訪問は、アメリカとの仲裁ができずに両国の戦争の危険が高まった。日本でG20が開催されていた頃にアメリカのトランプ大統領は日米安保が不公平だと述べ、その直後には日本が知らないうちに、歴史的な米朝会談が決まって実現した。
それでも、権力を恐れているメディアからは真実が見えてこないもしれない。超越的な視点から選挙を正しく見るためには、どのような点に注目したらいいだろうか。世俗的な政治論なら、経済政策をはじめ左右の視角から議論を始めることが多いだろう。でも超越的視座においてもっとも大事なのは、精神的・倫理的問題だ。これこそが人間の生き方の根幹だからだ。
その物差しから見れば、政府や行政の文書の隠蔽(いんぺい)や改竄(かいざん)に関する、政治家や高級官僚の嘘(うそ)や忘却、不祥事などについての指摘が想起される。当事者が不正行為を認めても、その政治的責任者が辞任せずに相変わらず重責を担っている。
このような事態が続いているのは、この国に政治的道義が廃れてしまったことを表している。この大本の問題は、政治家のみならず国民の一人ひとりに倫理的感覚が薄れてしまったというところにあるのではないか――。この連載の第16回で述べたように、平成の時代において日本人には宗教的・倫理的意識が減ってしまったのだ。
たとえば、「嘘をついてはいけない」「正直であれ」という道徳的な教えは多くの宗教にあり、仏教でも「不妄語(ふもうご)」という戒がある。道徳的意識が国民に強い時には、政府や行政の一員がそれに反する行為をしたことが露見すれば批判は激しくなるはずだ。
国民の精神性が低下すると、その結果は、当然、政治の質的な劣化と、それによる人々の不幸となって現れる。それを回避したければ、「政治的倫理」の観点から投票を行うことが必要だろう。