おもかげを探して どんど晴れ(16) 文・画 笹原留似子(おもかげ復元師)
東日本大震災を振り返って(2)――震災から1カ月~数カ月
前回は災害発生の初期段階について書きました。今回は、発生後1カ月から数カ月の段階で、被災地で必要だった物や私が出会ったある少女について紹介します。
1カ月が過ぎると、余震が起きる間隔は少しずつ長くなっていきましたが、地震が起きるたびに東日本大震災が発生した当初に見た光景が鮮明に蘇(よみがえ)りました。
多くの人たちは、疲れ切っていました。町を、職場を、家を、家族を失い、それまでの自身が歩んできた人生のペースが乱された中で生活が続いていたからです。
同じく、現地で災害支援活動を続ける医療、警察、消防、自衛隊、その他の専門職の人たちも被災者であり、自らの仕事を続けていく中で、多くの方が疲労困憊(こんぱい)していました。だからといって、災害は終わっておらず、その中を一人ひとりが生きていかなければなりません。
この時期に、誰もが温かい食べ物を欲していました。そして、「あると助かる物」を語り合うと、次の3点が上位に上りました。
2.野菜
3.お米と水
震災を経験した後、岩手県の小・中学校や高校の家庭科の授業で、防災教育が始まりました。牛乳パックでご飯を炊く授業や、少ない野菜を組み合わせて摂取できる栄養素について学ぶ授業、野菜の皮なども無駄なく使う調理法などが、災害時に生かせるようにと授業に取り入れられるようになりました。
料理ができる時期に入ると、数少ない調味料や大きな鍋、取り分ける皿などを代用する工夫が各避難所でなされていました。支援物資の中にあった新品の小さなビニール袋が、食品の取り分けや皿の代わりとして大活躍していました。
震災発生から1カ月が過ぎたこの時期に注意すべきは、発生当時の緊張と疲労、そして避難生活のストレスや寝不足などにより、抵抗力が弱まっていることです。津波が襲った地域では海水が引いた後、がれきや汚泥が乾燥し始めると、強烈な腐敗臭が漂いました。不衛生な粉じんも舞っていました。これらは、抵抗力が弱まった体には危険が高く、マスクやアルコール消毒液などが求められるようになりました。水は食料の一部として貴重で、手洗いやうがいに回せる状況ではないため、不衛生なままだったと思います。後に人体に害はないと知るのですが、この頃、赤ダニも異常発生し、情報が乏しい中で、気をつけたことを覚えています。
津波が建物を破壊してしまったことで、強い海風が直撃する状況が続き、多くの人がひどい肌荒れに悩んでいました。保湿クリームが支援物資として届くと喜ばれていました。