おもかげを探して どんど晴れ(15) 文・画 笹原留似子(おもかげ復元師)

画・笹原 留似子

東日本大震災を振り返って(1)――震災発生から数日

ここ数年は毎年、全国各地で災害が発生しています。

「自分は大丈夫だと思っていた」。各地で被災された、知り合いの方から連絡を受けると、みんながそう話します。そして、そうした体験をされた方は、災害に対して意識を高く持つことの大切さを語り合う日が、増えていくものです。

普段の避難訓練でも、「もし、ここで……」と自分自身に課題を出しながら、訓練に臨む人も、今は増えています。

もし今、地震が発生したら。
もし今、停電になったら。
もし今、携帯電話の充電が底をついたら。

東日本大震災では、大きな揺れの後に大津波が襲いました。地震と津波による二重の災害の中、あの時人々は何を必要としていたのか――学校関係者や被災者の方々と振り返る機会が今も多くあります。

震災直後を振り返ると、大きな揺れが来て、すぐに停電になりました。やがて復旧しても、大きな余震のたびに停電しました。災害が起きたときは、家族と連絡を取るため、現状を調べるため、各地の情報を収集するためにどうすればいいか、停電によりテレビなどからの情報が得られないことを想定して考えなければなりません。

携帯電話の充電器は必要です。夜の灯(あか)りは懐中電灯か、またはろうそくやライターなども欠かせません。ろうそくを使う場合は、倒れて火事にならないように注意が必要で、あの時も知恵を出し合いました。

東日本大震災の時は、春になる前の寒い時期でしたから、津波や雪、雨で濡(ぬ)れた体を、着替える服もないまま、暖を取らなければなりませんでした。保温効果の高い大きめのごみ袋を、濡れた服の上から頭を出してかぶり、その上から何かしらの布を羽織ることで体温が下がるのを防ぐ人たちが多くいました。

普段、移動手段として使っている車は、津波で流されたり、水につかってしまって使えなくなったりしていました。使える状態にあったとしても、町中、がれきが散乱し、道を通ることができません。その状況の中、自転車が活躍しました。支援物資の中に自転車があると、喜びました。

多くの大人は、災害が発生してからの数日は空腹に襲われた記憶がないと話します。私自身も、震災が発生してからの数日、食べ物を口にした記憶がありません。お腹(なか)が空かなかったのです。

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