利害を超えて現代と向き合う――宗教の役割(26) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)

画・国井 節

「令和」という新年号

「令和」という新年号が発表された。「昭和」に続いて「和」が用いられた。「平成」の「平」と合わせると、「平和」となる。「昭和」時代には世界大戦が起こったし、第24回で述べたように、「平成」の時代は「平和に成る」という願いとは逆に混乱や紛争が世界で起こってしまった。「令和」の時代には、今度こそ平和が実現してほしいものだ。

もっとも、この年号に関してはすぐに議論が巻き起こった。まず、政府は従来の慣例と異なり、『万葉集』という国書の文言から取ったものであると発表した。ところが、その部分は実は漢籍に由来しているという指摘がなされている。

次に、「令」は「命令」の「令」であって、上から下に命令するという語感があり、好ましくないという意見も噴出している。安倍政権は中国に批判的で、国粋的な志向性を持っているし、権威主義的だから、こういった特質が新年号にも現れているという見方だ。

本来、年号は全ての人に親しまれてほしいものであり、政治的立場によって嫌う人が多くなることは好ましくない。現政権が終わってからも、この年号は使われ続けるはずだからだ。そこで、多くの国民がこの年号を違和感なく使っていくための考え方を述べてみよう。

【次ページ:近代西洋的な政治経済の動揺】