現代を見つめて(32) クリスマスの夜に 文・石井光太(作家)
クリスマスの夜に
十二月になると、私の住んでいる最寄り駅の前では、中高生たちが募金活動をする。五~十人くらいの制服姿の男女が、募金箱を持って「お願いしまーす」と声を合わせるのだ。
二十代の頃、私はクリスマスや正月を途上国で過ごしていた。貧困や紛争をテーマに海外ルポを書いていたことから、取材で飛び回っていたのである。
この時期の途上国の宗教施設(お寺、教会、モスクなど)の前には、通常より多くの物乞いが集まっていた。キリスト教の国でなくてもクリスマスイベントはあるし、年末年始の祝い事があるため、大勢の人々が喜捨をしてくれるのだ。田舎の農家の人も、この時ばかりは都会にやってきて物乞いで稼ごうとする。
当時の私は「物乞いにお金をあげたところで貧困問題は解決しない」と偉そうに考えていた。むしろ、日本人ならお金をくれると勘違いさせるだけだ、と。
こんな考えを覆したのは、インドのムンバイにいたストリートチルドレンだった。クリスマスの夜、寺院の前で裸足(はだし)の男の子が年老いた物乞いたちにお菓子を配っていた。
呼び止めて、訳を尋ねてみた。男の子は言った。
「教会で物乞いしてたら食べきれないほどお菓子をもらったから、分けてあげたんだ」
普段はお金に困っているだろうし、甘いものを食べたい盛りだろうに。そう言うと、彼は笑った。
「ケチケチしててもしかたないよ。僕があげているのを見て、誰かが同じように真似(まね)してくれたらいいじゃない? メリークリスマス!」
その言葉に大いに反省した。以来、物乞いに出会うとポケットの小銭をあげることにした。
時は流れ、家庭を持ったこともあって、私は年末年始を日本で過ごすことが増えた。駅で街頭募金をしている若い人を見かけると、海外の時と同じように小銭を出すようにしている。
先日、私が募金すると、六歳の息子が言った。
「僕もお金あげたい」
毎回私が出して「ありがとうございます」と言われているのを見て羨(うらや)ましくなったのだろう。
私は五百円玉を渡した。息子がうれしそうにそれを募金箱に入れる姿を見ながら、ストリートチルドレンに教えられたことが、十数年の時を経て伝わったんだなと思った。
メリークリスマス!
プロフィル
いしい・こうた 1977年、東京生まれ。国内外の貧困、医療、戦争、災害、事件などをテーマに取材し、執筆活動を続ける。『アジアにこぼれた涙』(文春文庫)、『祈りの現場』(サンガ)、『「鬼畜」の家』(新潮社)など著書多数。近著に『世界で一番のクリスマス』(文藝春秋)、『43回の殺意――川崎中1男子生徒殺害事件の深層』(双葉社)がある。