『現代を見つめて』(1) 文・石井光太(作家)

支援と感謝の往復書簡

昨年も、日本は多くの災害に見舞われた。熊本地震、台風十号、糸魚川市大規模火災……。

不幸中の幸いは、いずれも迅速な支援活動がなされたことだ。東日本大震災をきっかけに、行政や民間の支援体制が整ったことが主な要因だろう。

ただ、人々の支援に対する思いは古くから変わらぬものだったようだ。

昨年末、東日本大震災の被災地の一つ、岩手県大槌町の吉里吉里(きりきり)にある中学校を訪ね、柳田正人校長(58)とお会いした。六年前、柳田校長は隣の釜石市の中学校で勤務中に震災に遭い、避難所の運営に当たった経験を持っていた。

吉里吉里の中学に赴任後、柳田校長は学校に保管されていた古い書類を整理した。すると、一通の手紙が出てきた。それは、1960年のチリ地震津波で吉里吉里が被害を受けた際、西日本に暮らす女の子が支援物資を送ったときに同封した手紙だった。

<服を送ります。着られるかどうかわかりませんが活用してください。私の服です>

という内容が記されていた。半世紀以上前も、吉里吉里は日本中から支援を受けていたのだ。

柳田校長は国語の授業で生徒たちに手紙を紹介した。生徒の一人が感動し、その思いを伝えたいと、ダメ元で差出人の住所に手紙を送った。

すると、後日、返信が届いた。今は七十歳近くなっているであろう女性の元に届き、返事を書いてくれたのだ。そこには、半世紀の時を経て被災地から感謝されたことへの驚きと感謝がつづられていた。数カ月後、中学生はこの体験を作文に書き、コンクールで地区優勝した。

柳田校長は語る。

「支援の善意はいつの時代も変わらないんですね。子供であっても困っている人がいたら助けたいという気持ちは五十年前も今も同じ。生徒がそのことに感銘を受けてくれたのが良かったです」

柳田校長は震災の時に母親を津波で流されながら、避難所を守り続けてきた。そんな体験からも、支援の大切さを痛感していたのだろう。

残念ながら、日本は今後も災害とは無縁ではないはずだ。だが、これからも被災した町には多くの人々の善意が集まるはずだ。

吉里吉里の町であった半世紀をかけた往復書簡。そんな光景が、あちらこちらの土地でこれからも見受けられることを願わずにいられない。

プロフィル

いしい・こうた 1977年、東京生まれ。国内外の貧困、医療、戦争、災害、事件などをテーマに取材し、執筆活動を続ける。『アジアにこぼれた涙』(文春文庫)、『祈りの現場』(サンガ)など著書多数。近著に『砂漠の影絵』(光文社)、『「鬼畜」の家』(新潮社)がある。