現代を見つめて(28) 社会を守る活力 文・石井光太(作家)
社会を守る活力
西日本で起きた豪雨土砂災害の死者が二百人に達し、平成の三十年間で最悪のものとなった。
これまで私は伊豆大島や和歌山での土砂災害の取材で被害者に話を聞いてきた。彼らの多くがこう語っていた。
「現実を受け止められず、何日間も自分が膜に包まれたようでした。被災した家も、死亡した息子の姿も、葬儀の光景も、世の中の出来事はすべて膜の向こうの出来事のように感じていたのです」
突然の悲劇を受け入れられず、無意識のうちに自分を膜のようなもので囲って守ろうとしたのだ。同じことは、震災や事故、それに自殺で家族を失ったご遺族からも聞く。
こうした体験はトラウマと呼ばれることがある。だが、被害者はいつかどこかでトラウマを受け止めなければならない時がくる。あまりのつらさでつぶれてしまいそうになる人もいるだろう。そういう人には支えやケアが欠かせない。
ただ、取材の現場に身を置いてたまに出会うのは、トラウマを大きなエネルギーに変えて社会を改革したり、守ったりしようとする人々の存在だ。
たとえば、一九九五年に阪神・淡路大震災が起きた時、大勢の人々がトラウマを背負うことになった。ところが、二〇一一年に東日本大震災が起きた時、兵庫県警をはじめ、かつて大震災を経験した人々が、そうではない人よりも被災地に思いを巡らし、いち早く駆けつけて救いの手を差し伸べた。
これは身近な例でもある。某出版社の私の担当編集者は、小学生の時に阪神・淡路大震災で家が全壊して心の傷を負った。小学生だった彼は嘆くことしかできなかった。だが、十六年後、編集者となった彼の前で、東日本大震災が起きた時、小学生時代の体験を思い出して真っ先に自ら取材の最前線に立った。
大なり小なり、人はトラウマを抱えなければならない瞬間がある。トラウマを悲しいものとして捉え、治療の対象とすることは大事だが、歳月を経て社会を守る活力になることもある。これまでそうやって日本は数々の災害を乗り越えてきたのだし、これからもそうなるはずだ。私はトラウマを治癒するのと同時に、活用するという考え方も、社会に必要だと思っている。
プロフィル
いしい・こうた 1977年、東京生まれ。国内外の貧困、医療、戦争、災害、事件などをテーマに取材し、執筆活動を続ける。『アジアにこぼれた涙』(文春文庫)、『祈りの現場』(サンガ)、『「鬼畜」の家』(新潮社)など著書多数。近著に『世界で一番のクリスマス』(文藝春秋)、『43回の殺意――川崎中1男子生徒殺害事件の深層』(双葉社)がある。