『現代を見つめて』(24) 過ちをくり返さないために 文・石井光太(作家)

過ちをくり返さないために

昨年、我が家の隣町――といっても徒歩十分ほど――で、ちょっとしたパニックが起きた。

週刊誌に、ある元受刑者のインタビューが掲載されたのだ。元受刑者は、かつて小学生の女の子を誘拐し、約一週間にわたって連れ回してわいせつ行為をした。逮捕後、有期刑を受けて刑務所に収監されたのだが、しばらく前に出所したのだという。

記事を読んで驚いたのは、元受刑者が現在の住まいを明らかにした上で、少女への興味が消えず再犯をするかもしれないと述べていたことだ。

「本当に私を逮捕してほしい。(中略)『性犯罪者処遇プログラム』を受けさせてほしいんです。じゃないと、確実に私はやりますからね」

この地域の親たちはパニックになった。「女の子を一人で外に出しちゃいけない」「公園に近づけてはいけない」「元犯人は某スーパーを利用しているらしい」といった噂(うわさ)が飛び交った。

だが、私は冷静に思った。これは、元受刑者のSOSではないか。

彼は取材に答え、逮捕されたい、矯正プログラムを受けたいとまで言っているのだ。なぜ、それがしてあげられないのか。

日本の司法制度上、犯罪が起こらなければ、警察がその人の身柄を拘束することはできない。仮に刑務所に入ったとしても、人材不足などから性犯罪者処遇プログラムを受講できるのは年間五百人ほどしかいない。しかも、刑務所内でのグループワークのため、医師に言わせれば、「ほとんど意味がない」そうだ。

では、刑務所の外でプログラムを受けることは可能なのか。

国内で専門的な治療を受けられる病院は数カ所しかない。一カ月にかかる費用は三万円~三万五千円。毎週平日の昼に通院しなければならず、治療終了までに数年を要する。前述の元受刑者は、生活保護を受けて暮らしているため、受講は困難だ。

ここからわかるのは、日本の司法制度の欠陥だ。

日本では刑罰という名目で懲役刑が科せられる。だが、前述の人物のように、自身の歪(ゆが)んだ性癖を認識し、治したいと訴えても、それに応える体制が整っていない。その結果、元受刑者が野放しになり、地元住民はパニックになる。

罪を罰する法は必要だ。だが、元受刑者のSOSを救い上げる制度も同時に必要ではないだろうか。

プロフィル

いしい・こうた 1977年、東京生まれ。国内外の貧困、医療、戦争、災害、事件などをテーマに取材し、執筆活動を続ける。『アジアにこぼれた涙』(文春文庫)、『祈りの現場』(サンガ)、『「鬼畜」の家』(新潮社)など著書多数。近著に『世界で一番のクリスマス』(文藝春秋)、『43回の殺意――川崎中1男子生徒殺害事件の深層』(双葉社)がある。