ブラインド・コミュニケーターの石井健介氏が館山教会で講演 幸せと感じられるかは自分次第

館山教会で6月21日、ブラインド・コミュニケーターの石井健介氏による講演が行われ、会員約50人が参集した。石井氏は今から10年前、多発性硬化症の影響で視力が大幅に低下した。現在は、白・黒・グレーの3色で光と影をぼんやりと感じる程度の視力で過ごす。当日は、著書『見えない世界で見えてきたこと』(光文社)を基に、他者の優しさに触れて変化した自身の捉え方などを語った。要旨を紹介する。(文責在編集部)

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検査入院の当初、目が見えなくなった絶望から自分の価値を見いだせず、妻と3歳の娘、生後3カ月の息子に迷惑をかけまいと命を絶つことも考えました。1カ月半の入院生活を通して、自分の内側に目を向け、ありたい姿に向かって歩めるようになったのは、他者の言葉や触れ合いに救われたからです。

一つは、多くの人が励ましの言葉をくれる中で、ある先輩が僕と一緒に嘆き、共感してくれたことです。その上で、「どのように命を輝かせていくのかが楽しみ」という先輩の言葉を聞き、まずは自分の気持ちと徹底的に向き合って嘆き切ろうと決心できました。湧き出る感情を否定せずに共感しながら自問自答を続けると、ありのままの状態を少しずつ受け入れられるようになり、「愛されたいし、愛したい」という自分の願いにたどり着きました。目が見えなくてもかなえられる願いだと気づいた時、一筋の光が見えました。

ほかには、同じ病室のAさんとの出会いが心に残っています。Aさんは、「よかったら一緒に話そう」「おすすめのコーヒーを飲む?」と、ふさぎ込む僕によく声をかけてくれました。僕は、斜に構えた態度で誘いを断り続けましたが、Aさんは「いつでも言ってね」と受け入れてくれました。

ある夜、「なぜAさんの優しさを丸ごと受け取れないのだろう」と、自分の心を見つめた時のことです。ふと、Aさん自身も病の苦悩を抱える中、部屋で最年少の僕を心配してくれる姿が脳裏に浮かびました。Aさんは痛みや苦しみを知るからこそ、僕がなかなか心を開けないことを分かっていたのでしょう。素直になれない自分が一番格好悪いな、との思いが湧き、涙があふれました。翌日、Aさんを頼ると、一段とうれしそうな声が返ってきたのを覚えています。人に優しくしてもらうことも、自分が誰かの力になれることも喜びになると学びました。

病が発症してから現在に至るまで、日常生活を支えてくれたのは、やはり家族です。妻は、僕の存在を肯定してくれたり、子どもたちとうまく触れ合えずにいる僕に「このままでいいの?」と問いかけてくれたりして、真摯(しんし)に向き合ってくれました。わが子は、今まで僕がかけていた心配の言葉を、僕に対して伝えてくれるようになり、親が子を守るといった一方的な関係性ではなく、互いに手をとり、守り合う形に変化しました。

こうしたさまざまな触れ合いによって、僕は今、幸せに暮らせています。目が見えていた頃より、周りの人の優しさが見えるようになり、受け取れるようになったからです。困った時に困ったと言えるようにもなり、気持ちが楽になりました。

人によって幸せの定義が違うのは当たり前ですが、晴れたら「いい天気だな」、雨が降ったら「木が生き生きしてるな」というふうに、何事も捉え方次第だと思います。今日の講演も、亡くなった祖母が、幼い頃の僕を館山教会によく連れてきてくれた過去があってのご縁だと思い、感謝しています。

僕は、周囲から目が不自由だと言われますが、目が見えないことを「不便」に感じても、「不自由」とは思っていません。逆に、視覚情報から解放されたことにより、心が自由になりました。自分の視点や捉え方を変えるだけで、同じ物事でも感じ方が変わります。目が見えなくなったことを不幸だと決めるのも、何に幸せを感じるかも自分次第なのです。