【「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」代表・黒井秋夫さん】戦争は終わっていない 連鎖する「戦争トラウマ」

戦場でのトラウマ体験によって兵士が心的外傷後ストレス症(PTSD)を発症し、記憶障害や不眠、感情の麻痺(まひ)などが続く「戦争トラウマ」。米国ではベトナム戦争を機に社会問題化し、研究や治療が進んだ一方、アジア・太平洋戦争における日本兵の心の問題は表面化してこなかった。「我々の戦争は終わっていない。そう訴え続けることが私たちの責務だ」と語る「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」代表の黒井秋夫さんに、今なお戦争トラウマの影響に苦しむ人々の現状を聞いた。
つながった父親とPTSD
――「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」を立ち上げたきっかけは?
2015年に乗った「ピースボート」(世界一周の船旅)で偶然、ベトナム戦争に従軍した元海兵隊員アレン・ネルソンさんのドキュメンタリー映像を見ました。彼は戦地での凄惨(せいさん)な体験によるPTSDで長年苦しんだのですが、その悲しげな表情が従軍経験のある父と重なり、父もPTSDだったに違いないと思ったのがきっかけです。
戦後に生まれた私が知る父は、話さない、笑わない、定職に就かない、病院にさえ一人で行けない人でした。父の兄からは、「戦争に行く前は成績優秀で将来有望だった」と聞いていましたが、目の前の父とは真逆で、現実味がありませんでした。
生活が苦しかったにもかかわらず、貧困から抜け出そうという意欲の感じられない父を私は尊敬できず、むしろ、「こんな大人にはなるまい」と思って生きてきました。しかし抜け殻のような父が、実は壮絶な戦争体験によって心を病んでいたのだとしたら、父に本当に申し訳ないことをしたと悔やみました。
映像を見た4日後、船内でPTSDと父親について語る自主企画を行いました。すると参加者の中に、自分の父もそうだったのではないかという女性がいました。彼女の父親は元特攻隊員で、出撃の直前に終戦を迎えて復員しました。普段は物静かなのに酒を飲むと人格が変わり、母親に繰り返し暴力を振るっていたそうです。「これまで父の行為とPTSDを結びつけて考えたことはなかったけれど、黒井さんの話を聞いて初めて父の内面の葛藤を分かりかけた気がします。話を聞いた晩は、父を思い声を上げて泣きました」と、彼女は話してくれました。
PTSDだとすれば、戦場の様子がフラッシュバック(過去の強いトラウマ体験の記憶が突然鮮明に蘇=よみがえ=る現象)すると、もう自分を制御できません。本人はその瞬間、戦場にいると錯覚しているのです。暴力を振るっていた妻のことも、敵に見えていたのかもしれません。彼女の父親のような人が日本中にいたのではないか、そう思いました。
その後、3年の準備期間を経て、元日本兵のPTSDと家族に及ぼした影響を後世に伝えようと、家族会を立ち上げました。
――家族会に来る方々は戦争トラウマの影響をどのように受けてきたのでしょうか
状況はさまざまです。元日本兵やその妻の多くはすでに他界し、家族会に来るのは子どもと孫世代です。戦争で心を壊した父親たちは、家庭内暴力や性的虐待をはじめ、自傷行為、自殺未遂、アルコール依存など、多様なトラウマ反応によって自分と家族を追い込んでいきました。異常行動を繰り返す父親との生活を苦に死を選ぶ妻や子もいました。そこまで至らずとも、家族会には、父親の暴力が原因で心身に傷を負ったり、精神を病んでほぼ寝たきりになったりした人が大勢います。人格の乖離(かいり)や妄想に悩む人もいて、精神的な治療や社会的支援なしに生きられない状況があります。
そして、もう一つ深刻なのは、「父親が母親に暴力を振るう様子を見て嫌悪していた自分が、大人になって家庭を持ち、気づいたら妻に包丁を突きつけていた」、あるいは、「父親から受けた暴力を自分が子どもにしてしまい、現在はその子どもが孫に行っている」といった暴力の世代間連鎖です。戦争による被害は現在進行形で続いています。

私は、家族会を立ち上げたら日本中から燎原(りょうげん)の火のように声が上がると予想していました。でも、実際はそうなりませんでした。受けた暴力があまりにも壮絶で、誰にも言えずに何十年も感情を押し殺してきた人ばかりだったからだと、活動を続けるうちに徐々に分かりました。
日本政府は戦時中、精神を病んだ兵士の存在を隠し、戦後も適切なケアを行うことはありませんでした。個人の問題として本人の苦しみはもちろん、そのさまざまな影響を家族が被らざるを得なかったのです。国に対して広範な実態調査を求めていますが、今も動きはありません。





