栄福の時代を目指して(2) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)

画・国井 節

「栄福の時代」への日本政治

新連載の開始にあたって人文社会科学の全領域に射程を拡大したと述べたが、政治が人々の幸福に大きな影響を与えることは確かだ。そこで新連載の2回目には政治に焦点を当てようと思う。前の連載「利害を超えて現代と向き合う」ではこの主題に重点があり、時の政治の危機や問題点についての陰鬱(いんうつ)な内容が少なくなかった。でも新連載では、「栄福の時代を目指して」というタイトルにふさわしく、明るい調子(トーン)で書くことができる。急に行われた総選挙で政治状況に大激変が生じ、新しい時代が現れたからだ。

今年1月の連載では、「動乱の辰年」という見出しで新年早々の能登地震と裏金問題に言及して、神獣たる竜が象徴するように、政治権力に大きな変動が生じ得るという予兆を書いた。覚えておられる読者はいるだろうか。予感通り、現実にまさにそのような大動乱が起こった。これから部分連立をはじめ、さまざまな試行が必要になり、混乱も生じるかもしれない。それでも、ここには「栄福の時代」につながる希望が現れた。日本政治が「現代」から「栄福時代」へと向かう第一歩になり得るかもしれないのである。

終焉した安倍時代

間違いなく日本政治で終焉(しゅうえん)したのは、安倍時代であり安倍政治だ。「利害を超えて現代と向き合う」第8288回などで書いたように、自民党裏金問題は、安倍政治以来の膿(うみ)や腐敗が一気に表面化したものである。そもそも石破茂氏は、自民党内で安倍派に抑圧されてきた代表的政治家であり、総務大臣・村上誠一郎氏は安倍晋三元首相を「国賊」と呼んで党の処分を受けた政治家だ。ところが、当初、石破新政権は党内で妥協して安倍派の中心人物たちを公認しようとしたために、一気に人々の失望を買い、方針転換した。そこで公認を得られず、落選した大物政治家もいる。

安倍派のいわゆる裏金議員42人のうち26人が落選し、安倍派が大減少して(2023年12月に54人だった衆院議員は22人になった)、もはや安倍派の勢威は見る影もない。第67回で『平家物語』冒頭の名句を引用して、「盛者必衰(じょうしゃひっすい)」と形容したが、もはや時代の変化を疑う人はいないだろう。平清盛没後4年で平家が滅亡に追い込まれたように、安倍氏死去後2年にして、旧統一教会問題や裏金問題などの露呈により、まさに「おごる安倍一派は久しからず」となったのである。

安倍政治の最大の問題は、学問的には競争的権威主義と言われるように、選挙という民主主義の制度は維持していても、実際には独裁化・専制化を進め、公共性を摩滅させて政治を私物化し、民主主義や自由を縮小させて憲法もそれに合わせて改定しようとしたことだ。メディアへの操作や圧力、国会審議の形式化と強行採決、森友・加計学園事件における政治の私物化、学術会議問題などにおける学問への圧力など枚挙に暇(いとま)がない。安倍後の政権においても、これらは残り、健全な政治を圧迫し続けてきた。

この全てが今回の政治的激変によって過去のものとなり始めた。自民党総裁選における高市早苗氏支持派や保守党に、極右の流れは残っているものの、石破政権時には後景に退かざるを得ないだろう。

民主主義の再生と平和憲法

この変化をもたらしたのは、選挙における民意である。これは、民主主義が機能したことを意味する。つまり、安倍政治によって圧殺されかかった民主主義が、この総選挙によって甦(よみがえ)ったのである。私は繰り返し実質的な民主主義の死滅について警鐘を鳴らしてきた。それだけに、民主主義の再生という大きな意味を改めて強調したい。

同時に、安倍政治が目指してきた改憲も頓挫した。2019年の参議院選挙から、衆参両院で、何らかの改憲に前向きな議員が改憲発議に必要な3分の2以上を占めていたが、今回の選挙ではそれ(衆議院では310議席)を下回った(自民、公明、日本維新の会、国民民主党をあわせて287議席)。そこで、改憲に慎重な野党が改憲に賛成しない限り、改憲の発議はできなくなった。安倍政治の目指していた改憲は、天皇を元首として人権を縮小し国家が戦争を行えるようにするという点などで、戦前の明治憲法を想起するような復古的改憲だった。このような右翼的改憲論は、安倍政治の後退によって色褪(あ)せて、少なくとも近未来の政治的課題とはなり得なくなった。

この結果、日本国憲法に定められている平和主義も、辛うじて国是として生き延びた。もっとも、現実にはこれを形骸化する軍事化は進行しており、石破政権も軍備拡大を推進する可能性が高い。よって本来の平和主義が復活するとは言えないが、国家の理念として平和主義が存続することの意義は少なくない。

【次ページ:総選挙をどう見るかーー新しき「源氏」は何処に?】