利害を超えて現代と向き合う――宗教の役割(3) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)

画・国井 節

「共謀罪」は宗教にとって何を意味するか?

前回まで、現代では宗教が政治的発言をしたり公共的な役割を果たしたりすることが望ましいと論じた。今の国会では、いわゆる「共謀罪」法案(組織的犯罪処罰法改正案)が審議されているから、この観点から具体的に考えてみよう。

まずは例から――あなたの宗教団体が公共的な活動をしていて、その会合に来た人が政府の宗教政策や環境政策に反対の意見を述べ、自分が知っている反対運動の抗議活動に協力するように主張した。何人かが積極的に賛成したので、全員が何となく認める雰囲気になった。そこで賛成者数人が、協力するための資金を集めようとして、バザーで売るためのキノコを山に許可なく採りにいった。でもあまり採れなかったので、協力はあきらめた。さて、この会合参加者全員が捜査ないし処罰を受けることはありうるだろうか?

そんなことはありえない、と思う人が多いだろう。けれども、この法案が成立すると、こういうことが論理的には起こりうるのである。たとえば、この反対運動で暴力的なデモや抗議を行って犯罪集団とされれば、その活動に協力しようとしたグループも共謀したとみなされうるし、途中で協力をやめても準備の行動をしたことになるからだ。

従来は、犯罪が実際に行われなければ原則として捜査や逮捕はされなかった。ところが、この法案では、2名以上で「組織的犯罪」を計画してその準備の行為をしただけで、罪となる。だから、内心の考えを処罰の対象にすることになりかねない。たとえばメールでのやりとりが、共同の謀議とされて処罰されうるわけだ。しかも目くばせのように言葉で明確に合意していなくとも、共謀とみなされうる。例としてあげた宗教会合でも、全員の合意が成立したとみなされうるわけだ。

【次ページ:宗教団体が真剣に公共的活動を行おうとすれば……】