命が喜ぶ生き方を 『命の授業』講演家・腰塚勇人氏
最初に、全国各地で「命の授業」を行うようになった経緯を話します。私は以前、神奈川県の中学の体育教師でした。
教師をずっと続けていきたいと思っていたのですが、2002年3月1日のこと。スキー場で、滑走中に頭から雪の中に突っ込み、首の骨を折る事故を起こしました。病院で手術を受け、命は助かったものの、首から下が動かなくなりました。そして医師から、「一生寝たきりか、良くて車いすでしょう。学校に戻ることはおそらく厳しいです」と告げられたのです。
誰のせいでもない自らが起こした事故。この状態で生きていくことになれば、家族に今後どれほどの負担をかけるのかと、毎日死ぬことばかり考えていました。
私はこの時、自分にとって大切なものを一瞬にして失いかけていました。それは、命、健康な体、家族、仲間、仕事です。しかし今、こうして社会復帰できているのは、私に希望と勇気を与えてくれた人たちがいたからです。
彼らを「ドリー夢(む)メーカー」と呼んでいます。別名は、「パワーチャージャー」「リスクテイカー」「ほっとマン」「ON人(おんじん)」「モデル」「ドリーマン」。パワーチャージャーは一緒にいるとやる気や元気をもらえる人、リスクテイカーはつらい時、最後まで見放さず共に頑張ってくれる人。ほっとマンは今の自分の気持ちを分かってくれる人、助けてと言える人。ON人はやる気のスイッチをONにしてくれる人、モデルは憧れの人や尊敬する人のこと。そしてドリーマンは夢を語り与えてくれる人のことです。
当時の私にとって、一番の「ドリー夢メーカー」は、リスクテイカーになってくれた両親でした。「代われるものなら代わってあげたい」と泣いてくれた母、「もしこのままの状態で退院になったら、奥さんと一緒に実家へ戻ってこい。おまえのことを守るから」と言ってくれた父。