【ノンフィクション作家・柳田邦男さん】問われる原発事故の教訓 徹底的な検証を今こそ

半世紀にわたって、科学技術と人類の行方、事故や公害問題、生命と医療の関係など「いのち」にかかわる事象を幅広く取材し、さまざまなメディアに発表し続けている柳田邦男さん。常に現場を歩き、物事の本質を多角的にとらえる取材力、分析力は高い評価を受ける。東京電力福島第一原子力発電所の事故に際しては、内閣が設けた「事故調査・検証委員会」の委員を務めた。原発事故発生から6年、被害の状況や国民に突き付けられた課題について聞いた。

果たして「想定外」だったか

――事故調査・検証委員会の委員として現場を見た時の印象は?

福島第一原発に足を踏み入れたのは、事故から4カ月近く経った2011年6月です。放射能から身を守るため、防毒マスクのようなマスク付きの完全防護服をまとい、事故現場を視察しました。

津波の衝撃と水素爆発によって無残に破壊された3号炉の建屋を間近で見上げた時、その巨大さに全身に震えが来るような感覚を覚えました。最先端の科学を集めた施設が、自然の脅威に対して脆(もろ)く崩れるという、現代文明に対する象徴的な警告の絵だと思いました。

また、建屋の海側に回って見渡すと、数百メートル沖合にあった防波堤が津波で砕かれ、2、3メートルほどのコンクリート片の瓦礫(がれき)の山となって打ち寄せていました。後で専門家に分析してもらうと、1平方メートルあたりの津波の衝撃は、中型ジェット機が時速600キロで激突したのと同等と教えられました。自然に対して人間は謙虚でなければならない。改めてそう実感しました。

――原発事故の恐ろしさとは?

ビル火災や工場爆発も大変な事態ですが、原発事故の被害の深刻さは比較になりません。原発事故では、プラントが破壊されると、放射能の影響で収束は極めて困難になります。実際、6年経った今も、溶け落ちた核燃料を取り出すめどは立っていません。

さらに、人と環境への影響は広範囲にわたり、かつ甚大です。広大な地域の住民の生活が壊され、農業や漁業に関わる自然環境が放射能に汚染されました。住民は生きる基盤を奪われ、避難生活で家族は分断され、故郷を失う――まさに「いのち」の危機です。

事故後、「原発事故で亡くなった人は一人もいない」といった趣旨の発言をした国会議員がいましたが、現実を全く理解していません。周辺地域では、避難指示を受けた入院患者が搬送中に命を落とし、重症患者が避難所の体育館でケアを受けられずに亡くなっています。また、避難生活の長期化で福島の震災関連死は2000人を超えています。こうした被害は、原発事故がなければ生じなかったものです。

加えて、避難生活者の中には将来の見通しが立たず、アルコール依存症や離婚に至ったケースが少なくありません。生きがいや意欲を奪われることによって起こる精神性の崩壊も、いのちに関わる深刻な被害です。

――事故は、「想定外」の地震、津波が原因と言われましたが。

震災前に、国のさまざまな機関で議論された事実経過を追っていくと、決して「想定できなかった」とは言いきれません。

例えば、文部科学省には学術的研究成果を行政に反映する「地震調査研究推進本部」という組織がありますが、2002年には地震の研究者たちが過去に起きた大地震と巨大津波の発生傾向から、東北から関東に至る太平洋沿岸地域は今後どこででも、発生の可能性が高いと警告しました。04年の中央防災会議の専門部会でも、専門家の多くが869年の貞観(じょうがん)地震・津波を重視し、安全対策を求めたのです。

地殻変動の規模は何万年、少なくとも1000年単位で検討しなければなりません。しかし、国は古い地震・津波はデータが確実でないという逃げ口上で、取り上げる必要はないと結論付けました。また、09年頃から、津波の研究者は最新の研究結果から福島原発の安全対策が必要と東電に伝えていましたが、東電は対応しませんでした。

「起こり得る可能性があるものは、確率が低くても必ず起こる」というのが災害であり、事故です。しかし、安全対策には大がかりな設計と巨額の投資が必要なため、国や電力業界はそうしたことは当面起こらないだろうと楽観論を掲げ、あえて「想定の必要なし」としたのだと言えるでしょう。原発の安全性に疑問が生じ、世論が騒ぎ出すことを警戒していましたから。

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