現代を見つめて(78) 子供たちと向き合って 文・石井光太(作家)
子供たちと向き合って
文部科学省の発表によれば、国公立の小中学校の不登校(三十日以上欠席)の生徒数が二十四万人を突破したそうだ。少子化にもかかわらず九年連続で増加しており、前年度比で二十四.九%増となっている。病欠、別室登校、フリースクール登校の生徒を含めれば、事態はより深刻だ。
なぜ子供たちはこれほどまでに学校へ行けなくなったのか。
戦後の不登校といえば貧困が原因であり、一九七〇年代以降は非行やいじめが増えた。現在、もっとも多いのが「無気力・不安」という理由だ。なんとなく学校へ行くのが嫌になったり、人間関係に不安を感じたりして不登校になるのである。
私も数多くの不登校の子供たちに取材をしたが、こういう答えをよく聞く。
「(不登校の理由が)よくわかりません。なんとなく、かな……」
彼らは押しなべて過剰なほどやさしく、繊細で、静かだ。
私がそんな子供たちと向き合っていて感じるのは、自分の内面を見つめ、感情や意思を言語化し、物事を切り開いていく力の脆弱(ぜいじゃく)さだ。
どの生徒との関係性がどのようにつらいのか、クラスの何に対して不満を抱いているのかを言語化することができれば、自(おの)ずと解決策は見えてくる。だが、漠然とした不安の中で「わからない」と黙ってしまったら、状況は変わらないし、周りも何もできない。
子供たちのこうした力が弱まっている背景には、社会の変化があるだろう。学校の管理主義、社会の事なかれ主義、長引く先の見えない不景気、親の過干渉……。特にコロナ禍では、子供たちが不特定多数の人と関わりながら、言葉で物事を切り開いていく力を養う機会が激減した。
ただ、私は大人たちの影響も大きいと思う。家庭でどれだけ子供の自発性を育む会話が交わされているか、親はどれだけ自分の言葉で物事を打開する姿を見せているか。
いつの時代も、子供は大人の姿を見ながら育つものだ。大人が無気力になって内にこもれば、子供も同じようになる。逆に、大人が自分の言葉によって物事を変革する姿を示せば、子供たちもそれを目指すだろう。
不安が渦巻く時代だからこそ、これまで以上に大人がモデルを示すことが求められているのではないだろうか。
プロフィル
いしい・こうた 1977年、東京生まれ。国内外の貧困、医療、戦争、災害、事件などをテーマに取材し、執筆活動を続ける。『アジアにこぼれた涙』(文春文庫)、『祈りの現場』(サンガ)、『「鬼畜」の家』(新潮社)、『43回の殺意――川崎中1男子生徒殺害事件の深層』(双葉社)、『原爆 広島を復興させた人びと』(集英社)など著書多数。