心ひとつに――東日本大震災から10年 髙橋秀典平教会長に聞く

懸命に生きてこられた福島の人々 大切な人へ真心を込めて祈り捧ぐ

平教会は全8支部で1市2町を包括しています。東日本大震災では、3支部が大津波により大きな被害を受けました。中でも、東京電力福島第一原子力発電所から20キロ圏内にある楢葉(ならは)支部の会員たちは、原子炉建屋の爆発事故により、先の見えない避難生活を余儀なくされました。

10年前、私は福島支教区(当時)の青年教務員として福島県にいました。発災直後から、支教区各教会の会員さんの安否確認や本部との支援物資の調整など、現地でお役を務めさせて頂きました。当時、福島県にいた全ての方が毎日を必死な思いで生きていました。

現在は、海岸線を車で走るときれいに整備された防潮堤が何キロも先まで見渡すことができ、サイクリングをする人やサーフィンをする人でにぎわっています。公園では幼子と遊ぶ若いご夫婦の姿があり、平穏な日々の流れを感じさせます。

昨年12月に平教会長を拝命し、9年ぶりに福島県に戻らせて頂きました。新型コロナウイルスの流行下での赴任でもあり、会員さんたちと直(じか)にお話しする機会はほとんどありませんが、数少ない触れ合いの中で感じたことは、「被災された方々の心は、津波で肉親を亡くしたあの日のままである」という印象でした。また、放射能という目に見えないものに不安を抱く日々は変わりません。放射能の汚染水が近海に流されようとしている今、再び報道への不信感や風評への不安感を募らせており、そういった心情は誰に話しても理解してもらえない、話もしたくないという思いの方が少なくないようです。

そうした方々に対して、私たち宗教者ができることは、まずは、一心に慰霊供養をさせて頂くことです。慰霊供養は、鎮魂の祈りであり、犠牲になった大切な人へ「決して忘れない」「ずっと思い続けています」という真心を届ける行いだと思います。

包括地域内には、地元住民の方々によって、無数の慰霊碑が建立されています。先日、そのいくつかを巡らせて頂きました。近所の方々も忘れているような場所にもひっそりと小さな碑が建っており、しっかりと供養をさせて頂きたいと思います。

先月13日、福島県沖を震源とするマグニチュード7.3の地震が起き、東日本大震災を彷彿(ほうふつ)とさせる強い揺れに、多くの人が不安を感じました。この地震で会員さんの中には、10年前の大震災の時に味わった不安や恐怖がフラッシュバックした方もおられ、大震災を共に経験したものとして、その胸の内を聴かせて頂きました。この地にお役を頂いた因縁使命を自覚し、役を果たしていきたいと、改めて心に刻むことができました。

コロナ禍の影響により、先の見えない不安や、人とのつながりを求める方々が地域には大勢いらっしゃいます。教会サンガ(教えの仲間)の皆さまと地域に出向いて行って、日々を一生懸命に生きてこられたお一人お一人の心を聴かせて頂くことで、共に苦しみ、共に悲しみ、そして今生かされているこのいのちを共に悦(よろこ)びながら、皆で救われていくよう、力を尽くしてまいりたいと思います。