心ひとつに――東日本大震災から10年 橋本惠市釜石教会長に聞く

困難な状況の中で慈悲の心を持ち続けられたサンガの姿に、いつも胸が熱く

昨年4月に釜石教会長を拝命して以来、会員さんに東日本大震災からこれまでの歩みをよく聞かせて頂いています。どなたも「あの日」のこと、その後のことを鮮明に覚えておられ、日本全国、世界各国からのご支援に感謝されています。今も励ましのお便りを送ってくださる方がおられます。教会を代表し、長年思いを寄せてくださることに改めて感謝申し上げます。

釜石教会では震災の発生後、当時の小林克州教会長さんを中心にサンガ(教えの仲間)が一丸となり、互いを支え合いました。震災発生から約半年間、避難所に指定された教会道場には、最も多い時で約80人の方を受け入れ、食事の提供など生活面のサポートを会員さんが行いました。

その中には、ご家族を亡くされたり、自宅を失われたりと、自らも大きな悲しみを抱えた人がいました。それでも、目の前で悲嘆に暮れる人々を思いやり、お役を務められたのです。「今日まで無我夢中でした」。皆さんはそう口をそろえますが、困難な状況の中で、慈悲の心を持ち続けられたサンガの姿に、私はいつも胸が熱くなるのです。

毎月11日には、教会道場、5カ所の地域道場で慰霊・復興祈願のご供養を行っています。震災の前日にあたる3月10日には、会員、未会員を問わず、犠牲になられた約千体のお戒名を読み上げさせて頂き、ご冥福をお祈りし、復興の祈願をさせて頂いています。これにとどまらず、それぞれの会員さんが日々のご供養を通して故人との絆をさらに深め、自身のありのままの感情を受けとめて、少しずつ前を向き今日まで歩んでこられたのです。

ある会員さんは、津波で夫を亡くされ、自宅も流されました。一瞬にして大事なものを奪われた不条理な現実を受け入れられず、「なぜ私だけが生き残ったのか」と毎日、自問したそうです。その後、時間の経過とともに身に染みてきたのは、「死に方ではなく、どう生きていくかを説くのが佼成会の教え」という村山禎英・元奥羽支教区長さんの言葉だったといいます。

その会員さんは、夫が生前、世界平和を願い、地元に温かい社会を築こうと尽力していたことを思い出し、教えに沿った人生を送ったと改めて感じたそうです。それからは、夫の願いを自身のものにし、目の前の一人ひとりと丁寧な触れ合いを続けておられます。「夫婦で共に歩まれている」――私はそう受けとめさせて頂いています。

このほか、たくさんの方が、「大切なものを失った人の苦しみが分かる」と話し、信仰を支えに人さまへの思いやりを大事にしています。包括地域では多くの人が復興住宅などに移りましたが、その中で会員さんは、住民へのあいさつを心がけ、コミュニティーづくりに努力されているのです。

また教会では、新型コロナウイルスの感染拡大が続く中で、「布薩(ふさつ)の日」などに本部の動画配信と併せて教会からも動画を配信しています。今年2月には、「風の電話」(岩手・大槌町)をつくった佐々木格氏を招いたオンライン講演会も行いました。「サンガとの縁をつなぎ続ける」との決意は、多くの方から頂いた優しさへのご恩返しでもあります。

この10年、思いを寄せ合い懸命に生きてこられたサンガの皆さんに倣い、私も会員さんと共に、お一人お一人の心に寄り添い、いのちの尊さと有り難さ、菩薩行の大切さをお伝えしていきます。