年頭法話 立正佼成会会長 庭野日鑛
反省創造しよう
コロナ禍は、人間が真に大切にすべきものは何かを見つめ直す機縁
あけまして、おめでとうございます。
昨年は、新型コロナウイルスの感染が拡(ひろ)がり、日々の生活に大きな影響を及ぼしました。感染によってお亡くなりになった方は、全世界で約百六十万人を数えます。衷心より哀悼の意を表したいと存じます。
本会は、万全な予防策を講じるため、大聖堂をはじめ各布教拠点を閉鎖し、諸活動を中止、または延期としました。
また、個々人の日常生活においても、働き方、教育、育児、介護、家事などのあらゆる場面に、これまでとは異なる対応が求められました。
収入が大幅に減ったり、失業や廃業に追い込まれたりした方も多数おられます。こうした時こそ、善き友・サンガとして、思いやりの心で、協力し、助け合っていきたいと願っています。
このコロナ禍は、人間が真に大切にすべきものは何かを見つめ直す機縁でもあると受けとめています。
以前、「省」という字には、省(はぶ)く、省(かえり)みるという二つの意味があるとお話ししましたが、コロナ禍の生活を通して、何を省くか、何を省みるかということが、改めて浮き彫りになってきていると思います。
ある調査によると、新型コロナウイルス流行の影響によって、自分自身が新しく始めた生活習慣や行動はあるかを尋ねたところ、最も多かったのは、「家族を大切にしたいと思うようになった」(74%)という答えであったそうです。一方で、家庭不和が深刻になったり、いわゆる「コロナ離婚」に至ったりするケースも増えています。
こうしたことを踏まえ、私は「令和三年次の方針」を次のようにお示ししました。
昨年は新型コロナウイルスの感染拡大により、私たちの生活スタイルに変化が起こりました。外出自粛、在宅でのテレワークなど、家で過ごす人が多くなり、家庭の大切さが問われました。
今年、本会は創立八十三周年を迎えました。昨年同様の自粛生活が続くことでしょうが、信仰生活を通して、お互い様に、夫婦として、父母として、親として、未来を担う幼少年・青年達を如何(いか)にして育て、人格の形成をはかるか、如何にして家を斉(ととの)えていくか、創造的に真剣に務めて参りたいと願っています。
ここでの「夫婦」とは、若い方々を指しています。「父母」は壮年の世代、「親」は老(おゆ)に通ずることからご高齢の方々です。それぞれの経験を子や孫はもちろん、息子・娘夫婦に伝えるなどして、各世代の人が幼少年・青年達の育成に力を尽くしてほしいという意味合いを込めました。
この「方針」について、昨年11月の「教団幹部会」で、全国の教会長さんに説明する機会がありました。その際、東洋思想の泰斗(たいと)として知られた安岡正篤先生のご著書を引用して、大要(たいよう)、次のようにお話ししました。
家庭で子供は、父に敬(けい)を抱き、また敬を求める。母を愛の対象としている。敬するとは、自らを敬し、人を敬すること。より高きもの、より大いなるもの、偉大なるものに対して生じる心、つまり進歩向上の心である。
しかし昨今、母の愛が強調されて、父の敬がなくなっている。父親自身も、仕事中心になり、あまり家庭を顧みようとしない。家庭を休息所のようにとらえ、だらしのない姿を見せる。これを恥じることで、自らを律する規律が生じる。「敬」と「恥」は、人間として根本的に大切なものである。
子供は、清く、明るく、健やかなものである。そして子供は、何より親の姿から学ぶ。親の健全ではない姿、つまり悪縁に触れると、将来に悪影響を及ぼす。それゆえに本来の父母の役割を取り戻さなければならない。
そして最後に、「父は子どもの尊敬の的(まと)でありたい。母は子どもの慈愛の座でありたい。なぜかなら、家庭は子どもの苗代(なわしろ)だから」という言葉を紹介して、締めくくりました。
このことは、私たちが常に心して取り組むべきことです。本会においても、布教活動に熱心になるあまり、家庭が顧みられないことがありました。これからは、布教も大事、家庭も大事という精進のあり方が望ましいと考えております。