TKWO――音楽とともにある人生♪ アルトサクソフォン・田中靖人さん Vol.1
日本トップレベルの吹奏楽団として知られる東京佼成ウインドオーケストラ(TKWO)。演奏会をはじめ、ラジオやテレビ出演など、多方面で活躍する。長年、全日本吹奏楽コンクールの課題曲の参考演奏を行っていることから、特にコンクールを目指す中学生・高校生の憧れの存在でもある。今回は、TKWOコンサートマスターで、アルトサクソフォン奏者の田中靖人さんへのインタビュー。音楽の道を歩むスタートは、友達の安易な一言から始まった。出会うべくして出会ったのかもしれない――。
音楽を始めたきっかけは友達のある言動から
――音楽を始めたきっかけは
小さい頃から絵を描くことが好きだったので、中学校では美術部に入ろうと思っていました。入学し、美術部はどこかと探し歩いたのですが、新入生を勧誘している先輩は見当たらず、学校中の壁には募集のポスターもありませんでした。そのことを友達に伝えると、「美術部は部員が少なくて廃部になったから、吹奏楽部においでよ」と言われました。
友達に誘われるまま、吹奏楽部の部室に行きました。そこには吹奏楽部の先輩が待っていて、「息を思いっきり、吹き込んでごらん」と、いくつかの楽器を渡されました。音が出ると「うまい! これはもうプロになれるんじゃない」と言うんです。相手を上機嫌にさせるのが、勧誘の常とう句なんですけど、僕はその言葉を鵜呑(うの)みにして、そう言われた瞬間からプロになろうと思っていました。当時、このことは誰にも言えなかったですけど(笑)。それで、入部することに決めました。
それから1カ月後、実は美術部は廃部になっていないことが分かりました。友達が僕と一緒に吹奏楽部に入りたいがためについたうそだったのです。だからといって、吹奏楽部を辞める気はなく、バスクラリネットを担当することになりました。
バスクラリネットを吹いていると、合奏の時はいつも隣にテナーサクソフォン担当の二つ上の先輩がいました。その先輩は部室でいつもジャズを流していて、レコードに合わせてアドリブで曲を吹くのです。その姿がとても格好よく、いつしか、僕もあの楽器を吹きたいと思うようになっていました。先輩が夏のコンクールで引退すると、「次は僕にサクソフォンをやらせてください」と2年生にお願いし、1年生の秋からサクソフォンに変わりました。
――最初は、先輩の影響でジャズに惹(ひ)かれたんですね
吹奏楽部に所属しているのに、吹奏楽の曲は自分からは一切聴かず、ジャズばかりを聴いていました。ジャズのレコードをたくさん買って、アドリブソロのまねをして、ジャズミュージシャンになることが夢でした。
高校に入るまでは、部活をしながら、どうしたらプロになれるのかと、ジャズ雑誌を読みあさり、テレビに出てくるジャズミュージシャンの経験話に耳を傾けていました。そうすると、山野楽器が主催している「YAMANO BIG BAND JAZZ CONTEST」がプロ奏者の登竜門となっていて、最優秀ソリスト賞を取り、やがて名手として活躍している人が数多くいらっしゃることを知りました。地道な方法としては、“ボウヤ”と呼ばれるジャズプレイヤーの付き人になり、荷物持ちやマネジャーのような仕事をしながら、経験を積んでプレイヤーに育っていく、という道もありました。昔はわりと、こうい人が多かったんですね。
「自分はどうしようか」と悩みを抱えながら高校に進学すると、高校の吹奏楽部顧問の先生が、「ジャズの道に進むにしても、一度、音楽大学に行って勉強してみたらどうかな」と助言をくださいました。さらに、「私立は学費が高いけれども、国立音大(国立=くにたち=音楽大学)は、管楽器の先生がとても素晴らしいよ」と背中を押してくださったのです。僕はそれで、音大に行くことを決めました。