特集◆相模原事件から1年――私たちに突き付けられたものは?(4) ドキュメンタリー映画監督・森達也氏

想像力を働かす、それが他者を理解する鍵に

――被告は施設で働き、障害者と触れ合っていました

そうですね。被告は、学生時代から福祉ボランティアに熱心に取り組んでいて、卒業後も津久井やまゆり園の職員として働いていました。ですから、障害者に対する意識も、比較的高かったはずです。しかし、だからこそ、彼は犯行に至る「確信」を得たのではないかと考えています。事件前に大島理森衆議院議長(当時)に宛てた手紙には、重度重複障害者の日常や、保護者や施設スタッフの疲れを目の当たりにしたことが記されていました。事実はともかく、彼の目にはそう映っていて、「人々は、本音では障害者が邪魔で、いなくなればいいという意識があるのに、建前がそれを封じている」と決め付けたのです。そうした人々の本音を明らかにし、過酷な労働条件下にある福祉従事者や重度重複障害者の家族を苦しみから解放しなければならないとの身勝手な思い込みで、犯行に及んだのではないでしょうか。

拘置所の彼は、メディアとの手紙のやりとりの中で、事件の犠牲者となった重複障害の人々を「人の心を失った者(心失者)」と表現し、「最低限度の自立ができない人間を支援することは自然の法則に反する行為」と決め付けています。残念ながら、こうした彼の「確信」には、「想像力」が欠如していました。心のあるなしなど、他人には絶対に分かりませんし、確認するすべもありません。コミュニケーションが取れない人は、心がないのでしょうか。そもそも、心がない者は生きてはいけない存在なのでしょうか。これは、自らのゆがんだ価値観の押し付けです。

あるテレビ番組の中で、重複障害者の母親が、「この子が存在しているだけで幸せ」とコメントしていました。この言葉は、肉親しか発することのできない言葉です。それでも、「そんなことを言ったって、無理して言っているのではないか?」と思ってしまう人がいるかもしれません。ここで私たちが考えなければならないのは、この母親のような受けとめ方をする人が実際にいる、という事実をしっかりと受容することです。これは、尊重すること、とも言えるでしょう。これが、理解に向けた第一歩なのだと思います。

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