特集◆相模原事件から1年――私たちに突き付けられたものは?(1) 牧師・奥田知志師

私たちが無意識のうちに犯してしまっていること

――経済的な価値が優先される社会だということですか?

そうです。私はホームレス支援活動に取り組んでいますが、「儲(もう)けが全ての世の中」になったと感じることがよくあります。以前、ある自治体のホームレス自立支援センターの立ち上げに携わった時のことです。その際、計画段階で大きな住民反対運動に遭いました。自治体が保健所として使っていた建物を再利用することになったのですが、この建物は、市役所や商業施設などの立ち並ぶ一等地にありました。反対の主な理由は、「市の中心地に生産性の低い施設をつくるより、生産性の高い施設を配置すべき」というものでした。

ここで言う「生産性」とは何を意味するのでしょうか。ホームレス状態の人は「死んだ方がいい」と考えているのか、と感じることが少なくありません。この施設は、反対を受けつつもその後開所したのですが、この事業によって路上生活を脱し自立した人、すなわち「生き直した人」が多く生まれました。就労率は6割です。路上で「死にたい」とまで思った人が、再び社会で生きていける。これほど「生産性」が高いことはありません。

しかし、社会はこれを「生産性」とは認めません。今日の社会における「生産性」は「経済効率」に特化した、「お金儲け」が中心です。各地で広がる生活保護バッシングもそのような価値観がベースになっています。福祉財源は税金です。自分たちが収めた税金が「経済的生産性のない人々」に投入されることは認められないという気持ちが根底にあるように思います。

いくらお金が掛かったか、儲かったか。そんなことに目を奪われる時代です。知らずしらずのうちに、経済的生産性があるかないか、といった尺度で「いのち」までも測ってしまっています。こうした“空気”の蔓延(まんえん)が、相模原事件の被告が残忍な行為に及んだ要因の一つのように思えてなりません。この事件を通して、「いのちそのものに意味がある」という普遍的価値を伝えなければならないと、宗教者の一人として、私は強く感じています。

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