「発達障害啓発週間」特集 誤解や偏見をなくし、共に生きる社会へ(3)
一人ひとりを尊ぶ姿勢で共に歩む
井上君との関係は家を訪ねた日から、彼の卒業まで続いた。井上君は1年の後半から、学校の配慮によって他の生徒がいない夜の時間に登校し、及川さんの授業を受けた。2年生ではクラス替えで、及川さんが担任の学級になり、数カ月は他の生徒と一緒に学習に臨めていたが、再び学校に来られなくなってしまった。
及川さんが電話をしても、家を訪ねても井上君は取り合ってくれない。及川さんは井上君の主治医を訪ね、触れ合い方を相談した。主治医からは、「みんな待ってるよ」といった登校を促す学級通信やクラスメートからの手紙は、即やめるよう諭された。「学校に来てほしい」という教師の思いが、同級生と顔を合わせられず、学校に行くことができないでいる井上君を、結果として追い詰めることでしかないからだった。
ただ、登校を促す以外の声掛けは、主治医から勧められた。それから、及川さんは時々、井上君宅を訪ね、「おまえが一番つらいよな」など井上君の立場に立った言葉を選んでは、部屋の扉越しに言葉を掛け続けた。訪問を重ねたある日、井上君の部屋の扉が開き、再び学校に来るようになった。
その後、井上君は、別室登校を続け、3年生に進級すると自らの意思で学級に戻ったが、しばらくすると、同級生への不信感から3度目の不登校になった。3年生は進路を決めなければならない。及川さんは、本人の考えを聞きながら、両親や主治医にも相談した。人とのコミュニケーションが苦手な井上君は、単位制の高校を希望し、集団生活になじめず不登校に悩んだ姿を目にしていた両親と主治医も後押しした。
受験は面接試験だけだったが、井上君はコミュニケーションが苦手で、質問に臨機応変に応答するのは難しい。井上君は、及川さんの勧めで再び夜の登校を始め、及川さんがマンツーマンで数学や英語を教え、二人で面接の練習を重ねた。
面接の練習では、予想される質問に対し、最初に井上君の気持ちを聞く。それから一緒に応答の言葉を考えた。その際、井上君は耳から入る情報の受け取りが苦手なことが分かり、紙に書いて覚えることにした。記憶力に長(た)けている井上君は、練習した次の日にはスラスラと言うことができた。
井上君に接する時、障害があるものの、「過保護」や「過干渉」にならないようにしたと及川さんは話す。相手を尊重せず、過度に手を貸そうとすれば、生徒は自分が「弱い人間」に見られていると敏感に感じ取り、離れることが多いからだ。井上君に対しても、「どうしたい。何か困っていることがあったら手伝おうか」と言って、「大丈夫」と返ってきたら、「じゃあ、頑張って。応援してるから」と、その主体性を引き出すように心がけた。
教師人生を振り返ると、発達障害に対する理解が乏しい時、学校に来ない生徒を「学生の本分は学校に来て、勉強することだろう」と責めてばかりいた。あの時、知識をしっかり持って生徒に接していたら、あの子たちの人生は変わっていたのではないかと思うこともある。「教師の役割の大きさを感じる」と及川さんは力を込めて話す。
井上君は無事卒業し、単位制の高校に入学。今、自らの道を進んでいる。