法燈継承30年(1) 会長就任から10年の歩み

1991年11月15日に行われた「法燈継承式」で、庭野開祖から庭野会長に「法燈継承之証」が手渡された。会長位が初代から第二代へ委譲され、本会は新たな時代を迎えた

庭野日鑛会長が、立正佼成会を創立した庭野日敬開祖から会長位を受け継ぎ、法燈を継承してから11月15日で30年を迎える。会長就任以来、一貫して釈尊の教えに基づいた真の仏教徒としてのあり方を説き示し、会員と共に歩んできた庭野会長。世界平和を願い、諸宗教対話・協力活動にも尽力してきた。その30年の足跡を10年ごとに振り返り、法話と共に今号から3回にわたって紹介する。

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1991年11月15日、本会初の「法燈継承式」が行われ、庭野会長が庭野開祖の後を継いで第二代会長に就任した。法話に立った庭野会長は、「万人全てが一列横隊。全体が一つになって出発したい」と決意を述べた。

翌年の「初ご命日式典」では、『簡素』『初心』の書き初めを披露。書に込めた思いを披歴した。以降、新年の書き初めは会員の一年の心構えともなっている。

同年、庭野会長は全国の会員と結縁(けちえん)する「ご巡教」(親戚まわり)を開始。各会場では、サンガ(教えの仲間)の温かい触れ合いが展開された。庭野会長は足掛け13年で全国を一巡した。

94年、『経典』(青経巻)の改訂に際し、「仏教教団としての『真の修行』を目指す、本会の教旨が経典全体に貫かれています」と明示。会員に仏子の自覚に立った精進を促した。

97年には、本会の「会規」「規則」が見直された。同年、庭野会長は平成10年次以降20年間の総合目標「一人ひとりの心田を耕す佼成会」を発表。仏教の基本は、一人ひとりが心田を耕す――内省を通して真理・法を認識することにあり、そこから本当の生きがいも生まれてくると説き、会員の修行目標を示した。

翌年、会長就任後、初の著書となる『心田を耕す』を発刊。仏教の核心を平易な言葉で分かりやすくまとめた同書は、会員の信仰生活の指針として活用されている。

99年10月、父であり、本会の創立者である庭野日敬開祖が入寂(にゅうじゃく)。「開祖葬」の喪主を務めた庭野会長は、庭野開祖の遺徳をたたえ、「開祖日敬一乗大師」の法号をおくった。翌年には、長沼妙佼脇祖に「脇祖妙佼慈道菩薩」の法号をおくった。

2001年、本会の儀礼儀式を改制。庭野開祖、長沼脇祖の法号が各布教拠点に祀(まつ)られるとともに、『経典』の勧請文の改訂、ご命日の改定、「布薩(ふさつ)の日」の制定などが実施された。これらを踏まえ、庭野会長は「『信仰の新生』が、ここになされたといえます」と述べ、その意義をかみしめた。

諸宗教間対話・協力、平和構築に向け尽力

庭野会長はまた、庭野開祖が道を開いた諸宗教間対話・協力活動を継承し、一層の推進に努めた。

国連本部で開催された「宗教者・精神的指導者によるミレニアム世界平和サミット」の総会で議長を務めた庭野会長。総括コメントで、「私たちは、一つの大いなるいのちに生かされている兄弟姉妹」と述べた(2000年8月)

新日本宗教団体連合会(新宗連)副理事長、世界宗教者平和会議(WCRP/RfP)共同会長、アジア宗教者平和会議(ACRP)共同議長、庭野平和財団総裁などを務め、大会や会議などで主導的な役割を果たすとともに、多くの宗教者と交流。イスラエルやボスニア・ヘルツェゴビナなども訪れ、和平の取り組みに力を尽くした。00年に国連本部で開催された「宗教者・精神的指導者によるミレニアム世界平和サミット」の総会では議長を務めた。

さらに、国内外の災害などにも真摯(しんし)に対応した。阪神・淡路大震災(1995年)では、被災地の神戸を訪れ、避難所の会員を激励。「米国同時多発テロ事件」(2001年)の際は、緊急談話を発表し、犠牲者に哀悼の誠を捧げるとともに、怨(うら)みや報復の連鎖を超えた宗教的な智慧(ちえ)による対応を呼びかけた。同事件を受け、米・ニューヨークで開催されたWCRP/RfP国際執行委員会による「世界の諸宗教指導者による国際シンポジウム」にも出席し、平和構築に向けた宗教者の役割を模索した。

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