東日本大震災「一食三県支援」の現場から 絆をつむぎ支え合う人々(3)

福島からの避難者を支援している「みんなの手」の西山代表理事。京都市にある交流拠点の前で

東日本大震災で甚大な被害を受けた岩手、宮城、福島の3県では、各地域で住民たちが復興に向けた取り組みを進めている。また、東京電力福島第一原子力発電所の事故により、他府県で暮らす福島からの避難者を支える活動も行われている。立正佼成会一食(いちじき)平和基金では、「東日本大震災三県支援」として、地域の課題の解決や地元のニーズに沿った活動を展開している民間組織や住民組織、NPO法人などをサポートしてきた。震災から6年を迎え、復興に取り組む3団体の活動を紹介する。最終回は、京都市の一般社団法人「みんなの手」。

京都市 一般社団法人「みんなの手」

カラー写真をふんだんに掲載したA4判8ページのニュースレター『みんなの手』。育児セミナーや住宅・求人案内、自治体の支援制度の情報を満載した『みんなの手』は毎月、福島県から京阪地方に自主避難した人々に届けられる。東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所事故の発生から6年を迎えたこれまで、有益な情報を提供してきた。

毎月発行されているニュースレター「みんなの手」

この製作に一人で取り組むのが、一般社団法人「みんなの手」の西山祐子代表理事だ。「自主避難者への住宅支援が3月末で打ち切られます。避難先の公営住宅やアパートなどから、家賃の支払いや退去を求められるようになり、皆さんの負担を少しでも軽くしたいと情報収集に力が入ります」と話す。

原発事故によって福島県の避難指示区域外から逃れた自主避難者には、災害援助法に基づき、「みなし仮設住宅」として国家公務員住宅などが無償で提供された。現在も、約1万2600世帯が各地で避難生活を送るが、一部の都道府県を除いて、それが打ち切りになる。

西山さん自身も震災から3カ月後、福島県全域の避難者を受け入れていた京都府に、2歳の長女と両親とで移住。仕事のため夫だけが残った。「不慣れな土地で知り合いもいない。育児や生活への不安が募り、境遇を同じくする母親たちと話がしたかったのです。転居先の官舎で同郷の人を探し、交流会を開いて励まし合っていました」。

当初、自主避難者の中には、仕事の都合で夫が福島にとどまり、妻子が避難生活を送るケースが少なくなかった。「土地になじめず孤独感を抱く」「将来を見通せないことに不安を募らせる」「二重生活による経済苦を抱える」など、避難者はさまざまな悩みや課題に直面していたと西山さんは話す。

官舎での交流をきっかけに「避難者が孤立せず、互いにつながり合う場をつくろう」と心に決め、2011年12月、広域避難者を支援する「みんなの手」を設立。これまでニュースレター発行のほか、帰省を支援する「ふるさととつながろうツアー」などを実施してきた。13年の春、フランス財団をはじめ多くの援助を得て、交流拠点となる「みんなのカフェ」を京阪本線「伏見桃山」駅の近くに開いた。

みんなのカフェで、避難者同士の交流を目的に催された『会津ナイト』。福島・会津地方を舞台にした物語の紙芝居を観賞しながら、それぞれがふるさとに思いを馳せた(写真提供=みんなの手)

古い町家を改修したカフェでは、毎日、各種のワークショップを開催。避難者を対象にした「気功クラス」や「鍼灸(しんきゅう)マッサージ」など好評なメニューを定期的に開いている。また、餅つきや会津にちなんだ紙芝居会などのイベントのほか、地元住民との交流会を行う。交流会やイベントは、どれも避難者と地元住民が語らい、知り合う場につながっているという。開設から4年、ワークショップや交流会でカフェに足を運んだ人々は延べ2000人に上った。

西山代表理事は、「どこで暮らすのかという選択を私たちは迫られています。どこに住もうと、この6年間に結んだ、つながりを大切にしていくことに変わりありません。新年度からは、母親たちのキャリアアップ支援に取り組みたい」と語った。