難民問題とどう向き合うか(後編) 国連UNHCR協会・滝澤理事長×本会一食平和基金運営委員会・根本委員長

本会一食平和基金運営委の根本委員長(左)と国連UNHCR協会の滝澤理事長

急増し続ける難民の問題を、私たちはどう受けとめ、行動すればよいのか――。長年、難民支援に取り組む国連UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)協会の滝澤三郎理事長と、同協会とパートナーシップを結ぶ立正佼成会一食(いちじき)平和基金運営委員会の根本昌廣委員長による対談の後編を紹介する。(文中敬称略)

難民問題とどう向き合うか(前編)

根本 1980年代初めに滝澤理事長が本会を訪れ、パレスチナ難民の現状や支援の必要性を教えてくださったことが、本会の国際活動を大きく展開させるきっかけとなりました。それでも、難民問題の全てを理解するのはとても難しいことのように感じます。

滝澤 遠く離れた外国の出来事を知らないのは当然です。そこで、紛争や貧困、難民問題について詳しく教えてくれる身近な人がいる、そして、その人が信頼に値する人である、ということが重要なのです。世界の問題と、自分との間に立って、困難な状況に置かれた人々の声を代弁してくれる人がいることで、初めて外の世界に目を向けられるようになるのだと思います。そういう意味で、佼成会が取り組むさまざまな国際支援活動はまさに「声なき声の代弁」で、国内の意識をも変えていこうということですよね。

もう一つ、今の日本社会は「自分たちの安心、安全」を求め過ぎているように感じます。よく、なぜ日本は難民を受け入れないのかと聞かれますが、私たち日本人の根底に流れる外国人に対する漠然とした不安、安全が阻害されるのではないかという意識が大きく関係しているといえます。

求められる宗教性

根本 昔から変わらない問題ですね。76年にシンガポールで、アジア地域の宗教指導者が集まり、平和に向けた会議(第1回アジア宗教者平和会議)が初めて開かれました。当時、ベトナム戦争後の政治的混乱により大勢のインドシナ難民が流出していました。会議に参加していたアジアの宗教指導者たちは、飲まず食わずの状態で何日も漂流する難民を放っておくことができませんでした。そこで、世界宗教者平和会議(WCRP/RfP)国際委員会と協力して船をチャーターし、難民救出に乗り出したのです。

その頃、私は大学生でした。日本をはじめアジア各国が難民の受け入れを躊躇(ちゅうちょ)する中、迷うことなく救済を決めた宗教者たちをとても誇りに感じました。

中には、「何も知らない素人が勝手に動くな」と厳しい批判もあったようです。しかし、宗教者たちは社会情勢がどうとか、日本を取り巻く政治とか、世間一般の意識とか、そうしたものにとらわれることなく、難民を一人の人間として見て、行動したのです。

宗教者の特質は、国や文化などを超えて同じ地球に生きる「いのち」として目の前の相手を見ることができるところです。そうした宗教的視点で難民問題を捉えた時、今の時代に沿った支援の形が見えてくるような気がします。難民が来たくなる国づくり、という視点も、なかなか面白いですよね。

千葉・小湊に設けられた本会の難民収容施設に到着したインドシナ難民たち。同胞の出迎えに、緊張が緩み安堵(あんど)の表情を見せる(1977年)

滝澤 そうなんです。さまざまな問題が絡み、日本の難民政策は複雑になっていますが、結果的に20~30人しか受け入れることができず、それに対して国際社会から批判を受けている。私は、仮に100人の難民を受け入れて、彼らが自立するまで支援した場合のコストより、国際社会から冷たい目で見られながら外交に当たるコストの方が、はるかに高いと思います。

そこで、人道的という視点が鍵になるわけです。自国民は大事だけれど外国人は守らないという価値観は、今の世界では通用しません。国境の内側にいようと外側にいようと、人間を人間として大切にするという宗教の価値観が求められています。

根本 今、世界中で「いのちの尊厳」が叫ばれていますが、私はそこに大事な言葉をつけ足したい。「“あらゆる”いのちの“平等な”尊厳」――この二つのキーワードが抜けているから、いのちの尊厳を語りながら紛争や貧困、環境破壊が無くならない。

全ての宗教が普遍的な愛を説いていますが、これからはもっと真剣に、本気の声で伝えていかねばならない。そう強く感じました。

慈悲に溢れた社会を

滝澤 今年、アントニオ・グテーレス氏が国連事務総長に就任しました。彼は一昨年まで国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)で難民高等弁務官として活躍していた方です。世界では、国際協調よりも自国の利害を優先する一国主義が高まっています。厳しい状況ですが、私は、彼が難民問題だけでなく地球全体のことを考え、共生という価値観を発信することができる人物だと信じています。

アメリカという国は、いろいろ批判はあるにしても、これまで世界中に支援をしてきた大国です。私はそれを「国際公共財」と言っているのですが、アメリカは今、その国際公共財という役割から手を引こうとしている。そうした中で、紛争など大きな問題のない安定した日本の役割は、今後ますます重要になっていくでしょう。

根本 とても大事な視座を頂きました。自国が大事な役割を果たせるよう、宗教界も「協調・対話」をより進めていきます。

私はUNHCRに勤めていた時、先輩から一度も「refugee(難民)」という言葉を聞いたことがありませんでした。彼らは、難民を難民と呼ばず、「friends(友人)」「family(家族)」と親しみを込めて呼んでいた。その姿勢から、相手の下に立って理解するという「understand」の精神を学びました。

また今日、滝澤理事長が法務省時代から今なお難民支援に情熱を注がれている姿に触れ、改めて「compassion(慈悲)」が大事だとかみしめました。物事を成す時、特に難民問題など難しい物事と向き合う時、慈悲の心を忘れたら、それは自己満足になってしまいますよね。

滝澤 その話で思い出したのですが、35年前、パレスチナ問題に関して新聞に投書をしたのですが、その後、私の記事を読んだという男性から1万円の寄付が届きました。後日、その男性からまた電話があり、実は奥さんに寄付の話をしたら、「それは良いことをしましたね。でも今月は1万円の赤字です」と言われたと。だから、申し訳ないけど5000円返してもらえないかという電話でした。

生活が厳しく自分も困っている、そういう人ほど、苦しみを理解しているからでしょうか、手を差し伸べてくださる。昨年、国連UNHCR協会にお寄せ頂いた寄付の合計が28億円でした。この大部分は、日本国内12万人の個人からの寄付です。中でも、女性からの寄付はとても多い。子供を持つ女性は、難民の状況を自分の身に置き換えて考えることができる。さらに、一度寄付してくださった方は、受益者である難民の将来をずっと案じてくれます。日本人は決して冷たいわけではないのです。慈悲に溢(あふ)れた人がたくさんいる。そうした人たちに、いかに働きかけていくかが大事ではないでしょうか。

根本 立正佼成会には「一食(いちじき)を捧げる運動」があります。食事をとったつもりで一食分のお金を募金するという取り組みで、もう40年以上続いています。一食分ですから、一度の募金額は数百円とわずかです。それが日本全国から集まり、大きな金額になる。そうした積み重ねの中から、これまでUNHCRや国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)への支援もさせて頂いてきました。

レバノンのパレスチナ難民キャンプ。多くの難民が今も無国籍のまま、内戦から逃れた当初と変わらぬ劣悪な環境下で生活する

会員たちは、自分が食事を抜いて募金していますので、支援先はどんな団体か、どの国の誰のために使われているのか、常に関心を持っています。ですから私たち「一食平和基金」のスタッフも、できる限り支援先に足を運び、現地の状況や受益者の声を聞き、全国の会員に伝えています。すると、お金の流れだけでなく、受益者とつながることができ、より“自分事”として受けとめてくださるのです。

滝澤 「一食運動」は、本当に素晴らしいと思います。特に、食事を抜く、空腹を分かち合うという精神がいい! 食べる物がないというのは本当につらいことです。日本は豊かになりましたが、今度は逆に無駄が増えた。食糧廃棄量は9年連続で世界1位です。年間1500トンというものすごい量の食べ物を捨てている。世界の食糧援助総量よりも、日本の廃棄量の方が多いとはどういうことでしょうか。

「一食運動」というのは、そうした点でも重要な取り組みで、難民問題だけでなく、貧困削減や環境問題、開発援助などさまざまな運動につながりますよね。

根本 ますます気持ちを引き締めて取り組まないといけないですね。立場は違いますが、滝澤理事長と私は「平和」「共生」という目的を持った同志だと思っています。これからも、あらゆるいのちが平等に守られる、尊厳ある社会を目指し、共に歩んでまいりたいと思います。

滝澤 今後とも、どうぞよろしくお願いします。

プロフィル

たきざわ・さぶろう 東京都立大学大学院博士課程を経て法務省入省後、1981年国連ジュネーブ本部採用。UNRWAのアンマンやベイルートなど各事務所に勤務。91年から国連工業開発機関(UNIDO)ウィーン本部財務部長を経て、2002年から06年までUNHCRジュネーブ本部財務局長に。07年から08年8月までUNHCR駐日代表を務めた後、国連大学客員教授を経て現職。アメリカ公認会計士。

ねもと・まさひろ 1977年立正佼成会学林入林。80年以降、国際自由宗教連盟(IARF)フランクフルト事務局員、UNHCRジュネーブ本部職員を経て、本会外務部次長、外務部部長として宗教対話や政治、人権問題に携わる。2015年、宗教協力特任主席、一食平和基金運営委員会委員長を兼務。16年からはWCRP/RfP日本委員会・難民問題タスクフォースの責任者として難民支援に関わる。

日本の難民支援

2015年に日本で難民認定申請を行った外国人(申請者)は7586人で、前年に比べて2586人(約52%)増加し、過去最多となった(法務省調べ)。申請者の出身国籍は、ネパール1768人、インドネシア969人、トルコ926人、ミャンマー808人などアジアを中心に69カ国にわたる。日本は1981年に「難民条約」に加盟し、難民の受け入れを始めた。他国に比べて難民申請から認定までの期間が約3年と長く、年間の認定者数が極端に少ないのが現状といえる。一方、2010年からは、一次避難国では保護を受けられない難民を他国(第三国)が受け入れる「第三国定住」制度を導入している。