核兵器禁止条約の発効要件成立 庭野開祖の願いと本会の平和への歩み

SSDIIに向け、会員たちは新宗連と共に全国各地で核兵器廃絶を求める署名活動に取り組んだ(1982年)

核兵器禁止条約が来年1月に発効することになった。「核なき世界」に向けて新たな一歩となる。核兵器廃絶は、庭野日敬開祖の悲願でもあった。その願いを原点に、立正佼成会は、核兵器廃絶・軍縮への取り組みを続けてきた。会員たちは、そうした努力とともに、日々の布教伝道を通して多くの人に平和の大切さを伝えてきた。これまでの足跡を振り返る。

核兵器も戦争もない世界に向けて

核兵器禁止宗教者平和使節団副団長として欧米各国を訪れた庭野開祖。パリでは無名戦士の墓を訪問し、慰霊の誠を捧げた(1963年)

核兵器廃絶に向けた本会の取り組みは1963年、庭野開祖が諸宗教者による「核兵器禁止宗教者平和使節団」の副団長として欧米各国を歴訪したことに始まる。当時、東西冷戦のもとで米ソ両国を中心に核開発競争が進められていた。庭野開祖は、各国の指導者らに核兵器の全面廃止を訴えるとともに、諸宗教者との連帯を深め、共に核兵器廃絶・軍縮に取り組む決意を固めた。

78年に開催された「第1回国連軍縮特別総会」(SSDI)で、庭野開祖は世界宗教者平和会議(WCRP/RfP)名誉議長として演説。この中で、唯一の戦争被爆国としての立場も踏まえ、米ソ両国の首脳に対して「危険をおかしてまで武装するよりも、むしろ平和のために危険をおかすべきである」と、核兵器廃絶・軍縮への決断を促した。

庭野開祖は、82年のSSDII、88年のSSDIIIでも演説に立った。これに合わせて本会は両年、核兵器廃絶と軍縮を訴える署名運動を展開。全国の会員が、戸別訪問を中心に街頭や職場などで市民に署名を呼び掛けた。82年には2700万人、88年には1200万人を超える署名が集まり、核兵器廃絶・軍縮を訴える要請文と共に国連や核保有国などに届けられた。また、平和集会や平和行進、学習会、講演会なども活発に行われた。

会員たちは、運動を通して核廃絶・軍縮に向けた世論を喚起するとともに、人々の中にある平和を願う心を呼び起こし、具体的な行動の輪が広がることに努めた。

本会はその後も、国連支援を柱として核兵器廃絶・軍縮の取り組みを継続。89年、国内で初めて開催された「国連軍縮京都会議」に庭野開祖が出席して以降、毎年各都市で開催されている同会議に本会の代表者が参加し、宗教者の視点も交えて具体的な提言を行った。国連軍縮NGO委員会や軍縮に関するシンポジウムなどにも参画。また、国連の軍縮キャンペーンや軍縮会議の開催、国連機関の運営などに対して資金協力も行った。

91年には国連の「部分的核実験禁止条約改正会議」で庭野日鑛会長が演説。仏教徒の立場から核実験の全面禁止を強く訴えた。同条約の調印国である米・英・ソ3カ国の国連代表とも個別に会見した。

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