第16回奈良県宗教者フォーラム 庭野会長の基調講演 要旨
課題を解決に導く和の心
現代は、混沌(こんとん)の時代、不確実性の時代など、さまざまに表現されています。
幼少年、青壮年、女性、高齢者それぞれに深刻な課題が指摘されています。インターネット、人工知能などの導入によって、人々の生活様式も変わりつつあります。東日本大震災を経験し、できるだけ簡素な生活を誓い合ったはずですが、いまも大量消費、大量廃棄が続いています。人手不足により、外国からの移民を受け入れる時代にもなってきました。環境問題、自然災害、民族や国家間の争い、開発途上国の飢餓など数えきれないほどの課題が目の前にあります。
これらを解決していく方法は、複雑かつ専門的であり、一般の人には理解しきれないものかもしれません。しかし、全体の構造自体は、それほど複雑ではない、と私は思っています。
つまり、親と子の和、世代間の和、家庭と地域の和、人々と社会の和、先進技術と人間の和、外国人と日本人の和、先進国と開発途上国の和、民族と民族の和、国と国の和……。どのようにすれば「和」を築いていくことができるかという方向性を見定めて、取り組んでいくことに尽きるのではないかと思います。
真の教育者とも称すべき森信三先生の言葉に、『我われ人間が現実に行い得ることは、ささやかな、ある意味では果ないものにすぎません。しかし「ねがい」としては、常に「至高のねがい」を抱き続けたいものです。
では、人間至高のねがいとは何かと申しますと、それは「この地上の人類すべてが、真に幸福になるような時代を待ち望む」ということではないでしょうか。だが、このような至高の希(ねが)いを抱き続けるということは、容易なことではありません。そこでわたくしは次のように申したいのです。それは
「我われ人間は、自分の周囲に一人でも不幸な人のある限り、現在の自分の幸福を手放しでよろこんでいては相済まぬ」ということで、これをいつも心の奥深く念じて忘れないということです。同時にこれなら、だれ一人として「自分にはとても出来ない」とは、言えないはずと思うのであります。』とあり、この言葉に触れるとき、いつも感銘を受けるのであります。
聖徳太子が、いまから千四百年前、十七条憲法の最初に、「和を以て貴しと為す」と定められた慧眼に、頭(こうべ)を垂れるばかりでございます。