一食運動の浄財がエチオピアで 植林は地域の暮らしを支える原動力

エチオピア・ワザ村での植樹の様子。深さ30センチの穴を掘り、ユーカリやアカシアなどの苗木を丁寧に植える

立正佼成会一食(いちじき)平和基金運営委員会の根本昌廣副委員長(時務部主席)と同事務局スタッフ2人が、7月9日から12日まで東アフリカのエチオピアを訪れた。「一食を捧げる運動」(一食運動)の浄財を基に同基金が25年以上前から同国北部のティグレ州で現地NGOのティグレ救援協会(REST)と合同で行っている植林事業を視察するためだ。事業の進捗(しんちょく)状況や成果、課題などを紹介する。

エチオピアの飢餓を受け、本会とRESTで植林事業

国土の半分はエチオピア高原として知られ、その平均標高は1600メートルを超えるエチオピア。ティグレ州の州都メケレも標高2084メートルにある。100年ほど前まで、エチオピアは国土の40%が森林で覆われていた。1800~2400メートルの高原地帯は降水量も多く、肥沃(ひよく)な農業地帯でさまざまな作物が採れ、畜産も盛んだった。

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しかし、人口増加に伴う無計画な樹木の伐採や過度の放牧によって森林は激減し、食料の自給力は急速に衰えた。干ばつは周期的に発生し、1984年と2003年には二度の大きな飢饉(ききん)に見舞われた。

また、1975年に誕生した軍事独裁政権の圧政に苦しむ人々が反政府闘争を始め、内戦に発展。80年代には独立を求めるエリトリアとの内戦も激しくなり、森林面積の割合は国土全体の3%にまで減少した。中でも、畑の多くが傾斜地にあり、雨期の大雨で作物が表土ごと流されてしまうティグレ州では、土地の荒廃が激しかった。

91年にエリトリアが独立を宣言し、当時の軍事独裁政権が崩壊。エチオピアでは、持続的な食料生産を可能にするため、耕地の整備と森の再生が急務となった。それには、州の全域で緑化を図る植樹を行って土地の保水力を高めなければならない。また、土質を改善し、段々畑状の耕作地を整えると同時に、畑の外周に木を植え、土留めをする必要があった。しかし、国内にはこれらを支える財政基盤が乏しかった。

こうした状況を受け、「アフリカへ毛布をおくる運動」などでこの地域の飢餓に関心を寄せていた本会では、一食平和基金を通じて93年に、RESTと合同で、最も荒廃していた州中央部サムレ・セハルティ郡での植林事業を開始した。

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