普門館とわたし(5)

普門館にまつわる思い出やエピソードを「普門館とわたし」として募集したところ、貴重な体験が投稿として寄せられています。編集部に届いた投稿を随時掲載していきます。第5回は、吹奏楽経験者の「あおい」さんと「天理高校吹奏楽部OB Y.Y」さん、本会会員である「りえ」さん、「仙台転勤4年目 支部壮年副部長」さんの投稿です。(タイトルは編集部)

最初で最後の普門館

中学一年生の初めての全国大会。

最初で最後の普門館になりました。

そこで踏みしめたぴかぴかの黒床、演奏後に見上げた星のようにきらきらした天井の照明が今でも忘れられません。

(あおい・19歳女性・大学生)

過密スケジュールの中で

1972年(昭和47年)普門館で初開催された全日本吹奏楽コンクールで、母校は自由曲「メキシコの祭り」で金賞を受賞した。全国大会はその後の4年間別の場所で開催され、僕の高校3年間はその期間で、名古屋、神戸、札幌と会場が移り、普門館でのコンクール経験はなかった。

だが、2年生の1974年8月17日、「第1回日本アマチュア音楽祭」が普門館で開催され、この模様は24日、フジテレビ系で放送された。

普門館経験のある先輩からは「めちゃくちゃ広いから迷子になるなよ」とか「リハーサル室がいくつもあるで」と聞かされていた。

演奏旅行の信州から直接普門館へ。流石に大きさに驚いた。天理高校はこの音楽祭の最後を飾っての演奏。アンコールの声がかかるほどの人気だったとか。だが、何曲演奏したかは記憶にない。

東京から戻るとすぐCBSソニーのレコーディングと過密スケジュールだったのでテレビ放送を見た記憶もなかった。

(天理高校吹奏楽部OB Y.Y・61歳男性・団体役員)

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