内藤麻里子の文芸観察

内藤麻里子の文芸観察(66)

昨今の小説は派手なアイデアや、特異なキャラクターで読ませる作品が注目されがちだが、平岡陽明さんの『マイ・グレート・ファーザー』(文藝春秋)は、それらとは一線を画す。ファンタジー仕立てであるが、人生の岐路に立った男の姿を静かに、実直に描き、驚くほどじわじわと心にしみてくる。そっと自分の中に取っておきたいような小説だ。

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内藤麻里子の文芸観察(65)

今年は戦後80年、そこでこんな本を選んでみた。伊吹亜門さんの『路地裏の二・二六』(PHP研究所)は、結果的に陸軍の発言力を強めた二・二六事件を題材にして、その裏で起きていたもう一つの事件を虚実ない交ぜにして描いてみせた歴史ミステリーだ。

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内藤麻里子の文芸観察(64)

三浦しをんさんの『ゆびさきに魔法』(文藝春秋)は、爪を美しく彩るネイリストを題材にしている。『神去なあなあ日常』『舟を編む』など、秀逸なお仕事小説を手がけた作家による、新たな充実のお仕事小説だ。

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内藤麻里子の文芸観察(63)

暗号通貨やプログラミングのC++言語など、デジタル世界のテクノロジーに関して知識を持ち合わせていない。それなのに読まされてしまうのが、宮内悠介さんの『暗号の子』(文藝春秋)だ。テクノロジーというギミックを使って、現代という時代を描き出す。

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内藤麻里子の文芸観察(62)

そういえば、新型コロナウイルス感染症が広がる前、鉄道会社の車庫などに侵入して列車に落書きする事件が相次いでいた。そんなことを思い出させてくれたのが、井上先斗(さきと)さんの『イッツ・ダ・ボム』(文藝春秋)だ。あの時、車体に書かれた文字などはグラフィティと言い、それを記した者をグラフィティライターと呼ぶのだそうだ。グラフィティを街中で目にしたこともおありだろう。斯界(しかい)のスターはバンクシーである。同書はグラフィティおよびグラフィティライターの進化系を描いた物語だ。

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内藤麻里子の文芸観察(61)

東山彰良さんの『邪行(やこう)のビビウ』(中央公論新社)は、戦争小説とファンタジーを融合してカジュアルに書いているように見せながら、この作家ならではのどこかいびつで滑稽で、現代に地続きの切迫感を漂わせている。

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内藤麻里子の文芸観察(60)

永嶋恵美さんの『檜垣澤(ひがきざわ)家の炎上』(新潮文庫)は、明治末から大正にかけて、横浜の上流社会を生き抜く娘の野望をミステリー仕立てで描いた、濃(こま)やかな物語である。文庫書き下ろしだ。

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内藤麻里子の文芸観察(59)

大森兄弟さんの『めでたし、めでたし』(中央公論新社)は、奇想の物語だ。桃太郎ならぬ「桃次郎」による鬼退治の後日譚(ごじつたん)を饒舌(じょうぜつ)な混乱の中に語りながら、物語の終焉(しゅうえん)をめぐる葛藤を織り込んでみせた。変幻自在な文章に酔うもよし、バカバカしく楽しむもよし、なにやら深淵(しんえん)さを読み取ってもいい。

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内藤麻里子の文芸観察(58)

「一休さん」といえば、一般的には「この橋(はし)渡るべからず」の張り紙に、「はし(端)を渡らなければいい」と切り返したなどの頓智(とんち)で親しまれる僧侶だ。木下昌輝さんの『愚道一休(ぐどういっきゅう)』(集英社)は、そのモデルになった臨済宗の僧、一休宗純の実像に迫った歴史小説である。何がすごいと言って、臨済禅の道を追い求める、つまり求道(ぐどう)の姿に的を絞っていることだ。

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内藤麻里子の文芸観察(57)

赤神諒さんの『佐渡絢爛(さどけんらん)』(徳間書店)は、佐渡金銀山を舞台にした時代ミステリーだ。相次ぐ怪事件の謎と、衰退する鉱山の立て直しという二本柱に、秘剣、恋模様、秘めた志、この地で盛んな能や名物の麩(ふ)など、さまざまな要素をこれでもかと詰め込み、登場人物たちもケレン味たっぷり。思い切り楽しませてくれる。

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