人の悲しみが分かる人間に 脇祖さま報恩会(動画あり)

大聖堂(東京都杉並区)のスクリーンに長沼妙佼脇祖の映像が映る。「必ずや幸せになること間違いなし」。長沼脇祖の声が、参集した約1400人の心に響く――。

当日の様子(クリックして動画再生)

庭野日敬開祖と共に本会を創立した長沼脇祖の祥月命日にあたる9月10日、大聖堂をはじめ各教会で「脇祖さま報恩会」が行われた。参拝者の一人、豊中教会の会員(91)は20代の頃、初めて本部参拝に参加した時、長沼脇祖と出会った。「妙佼先生はご布教のお帰りでお疲れだったのに、本部に集まったみんなの顔が見たいとお出ましくださいました。子どもの頭をなでて、『よくお参りできたね』と声をかけられ、その温かいお心遣いに感動したことを今もはっきり覚えています。優しい声で、自分の母のように感じました。素晴らしい方でした」と目を潤ませた。庭野日鑛会長はこの日の法話で、「脇祖さまには幼い頃に『浩ちゃん』と呼ばれ、かわいがって頂いた。今でも『浩ちゃん』という声が耳に響いてくるように思う」と懐かしんだ。会員から慈母と慕われた長沼脇祖は1957年に67歳で遷化した。

式典は、奉献の儀で開幕。次いで、読経供養が行われ、導師の庭野光祥次代会長が庭野会長の「報恩讃歎(さんだん)文」を奏上した。報恩讃歌「慈悲の華」斉唱の後、田中規之目黒教会長が体験説法を行った。

続いて、法話に立った庭野会長は、「性(しょう)」という字には、心を具(そな)えた人のいのちという意味があり、仏をつければ「仏性」、本をつければ「本性」になると説明。そうした人間に具わっている「性」を自覚して、「人さまの幸せのため、人さまが救われるために、私たちは精進をさせて頂いている」と語った。

また、日本では「愛」という字を「愛(かな)し」とも読み、愛すれば愛するほど、命を無視され、犠牲にされると悲しみが大きくなり、その心があるからこそ平和を望む気持ちが起こると説示。平和をもたらす元は、互いに「礼」ができる人間になることと述べ、仏教徒として「明るい人間、人さまの悲しみが分かる人間になっていくよう精進させて頂くことがとても大事だと思います」と語りかけた。

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