栄福の時代を目指して(9) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)

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閃きの瞬間と思考の進化

さて、前回は即礼君の「大発見」について書いた。このような「発見」の瞬間の叙述では、さまざまな人の科学的・学問的発見の体験を念頭に置いているが、私自身が研究を始めた20代からの経験にも基づいているので、その内容の幾つかはこの連載でも触れていきたいと思っている。このような閃きやインスピレーションがあって、創造的な研究や知見が生まれてくることが多い。

そこで、私は大学院生の指導においては、大なり小なり、このような「発見」の体験を得ることができるように促しており、それが実現することを願っている。さまざまな方向から研究対象を考究し試行錯誤する中で、ある日、追求しているテーマについて、新しい考え方が閃いてパズルが解けたような気のすることがある。ジグソーパズルに例えれば、その時は、試行錯誤の過程で模索した内容が一つ一つのピースとして、バチバチとはまり、全体の絵柄が見えるのである。特に博士課程においては、研究過程でこのような瞬間が生じることが理想であり、このような体験を経ると、思考の質が高まり、オリジナルな研究を自力で行うことが出来るようになる。

この体験による思考の質的進化こそが、たとえば「博士」の称号にふさわしいと思える。理想を言えば、このような過程を経て、独創的な研究を行った人こそ、「博士」と呼ばれるべきかもしれない。全ての「博士」がこのような体験を経て優れた独創性を備えているわけではおそらくないものの、学問や研究を通じてこのような内的成長が可能になるところに、学問の人格的・精神的意義があると思えるのである。

産婆(助産師)の息子だったソクラテスは、自分の問答法を「産婆術」に例えた。「智を生めない」自分が問答相手に正しい知識を教えるというわけではなく、より優れた考え方に相手が自ら到達するように問答を通じて助けることを、出産を手助けする産婆に例えたのである(『テアイテトス』)(ⅰ) 。博士課程などの指導も、大学院生が自らの研究を生み出していくことを手助けしていくという点で、まさにこの「産婆術」のようなものだと考えている。

ただ、物語の即礼君には、そのような大学の教師はそばにはいない。そこで、彼の物語に戻って見ていこう。

◆ ◇ ◆

即礼君は翌朝目覚めてすぐ昨夜の興奮を思い出し、「あれは何だったのだろう? 自分が見つけたと思ったことは本当かな?」と考えた。

はじめに「トラシュマコス」という名前が浮かんできた時には、自分の記憶から浮かんできたのかと思って、特に不思議には感じなかった。でも、その後に、トラクレスとかトラーチェ、トラヴェリという名前が聞こえた気がした。夢の中のトラギアスと「トラ」が共通で、あとが変化しているのだけれど、これだけであれば連想かもしれないし、「気のせいかな」と片付けてしまうこともできる。

でも、それらを手がかりにして、カリクレス、ニーチェ、マキャヴェリの思想を思い出して調べてみたら、そこには「強者は正義」というような現実主義的発想が共通して流れていることがわかった。とすると、名前の共通性は、思想の共通性を暗示していたことになる。

「ということは、これは偶然とか、単なる幻聴というわけではないことになる。もしこの小さなささやきに意味があるのなら、昨夜の『発見』は、そもそも自分の頭脳で考えたことなのか、それとも何かに導かれているのだろうか?」

理性的な彼は、こう考えて、さらにフラクタル構造としての共通性を追究する気持ちになった。もし共通性がさらに確かめられたら、自分の「発見」は本当のものということになり、声やビジョンにも意味があったということになると思ったからだ。

(ⅰ)「何一つ僕のところからいまだかつて学んだことがあったためではなく、自分で自分自身のところから多くの見事なものを発見し出産してのことなのだ。もっともその際の取り上げは神の御業であって、僕もまだそれには微力をいたしておるのである。」(『テアイテトス』150D、岩波文庫、35頁)

国内の争いと寡頭政反対集会

そして朝食をとるためにパンを焼きテレビをつけると、ニュースではカリフォルニア州知事(ギャビン・ニューサム:民主党)とトランプ大統領との対立が報道されていた。政府の移民関税執行局(ICE)の不法移民摘発強化に対して、抗議活動がロサンゼルスで起こり、通常は州知事の管轄下にある州兵を大統領が指揮して派遣したのに対し、知事の要請なく州兵を動員したのは違法だと州側が裁判所に訴え、政府側は海兵隊を送り込んだというのだ。この知事は、次の大統領選の有力候補と目されているらしい。大統領が「逮捕されれば素晴らしい」と威嚇したのに対し、知事は「逮捕してみろ」と応酬し、州兵や海兵隊を国内における取り締まりのために動員することに対し、大きな批判が巻き起こっていた。

これを見て、即礼君は、昨夜にトラシュマコスの「正義とは、強い者の利益に他ならない」という考え方に対し、ソクラテスが、不正義な国家は内部で不和と憎しみと戦いをもたらすと反論していたことを思い出した。それを読んで彼は『内戦(シビル・ウォー)』の映画を思い出したのだが、まさしくそれに似た構図が現実のものになっている。

哲学徒を自認していた即礼君は、政治にさほどの興味があったわけではなかったが、この類似性に気づいてがぜん関心を持ち、アメリカの政権反対運動をネットで調べてみた。

すると、就任直後から、急進派の民主党系である高齢のバーニー・サンダーズ上院議員(83歳)が、女性のオカシオ・コルテス下院議員(35歳)とともに全国で大規模な反トランプ集会を行っており、億万長者たちの支配する「寡頭政(オリガーキー)」への反対を訴えて、多くの人々が集っていることがわかった。サンダーズ議員は、アメリカでは珍しい社会主義的な主張をしているが、民主党大統領選の有力候補になったことがある。そこでは、トランプやマスクをはじめとする政権中枢が、大富豪であって、私服を肥やして公共の利益を破壊し、一般の多くの人々が代償を強いられているという批判がなされ、多くの人々がそこに参加していた。

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